メロウ倶楽部の会員は日本全国で様々な体験をしてきました。
この機会に、「あなたの戦後は?」を色々書いてみてください。
メロウ倶楽部の会員以外の方からの書き込みも歓迎します。
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[No.91]
二十四の瞳
投稿者:男爵
投稿日:2010/12/07(Tue) 10:17
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高峰秀子主演の名作
1954年
「二十四の瞳」
監督・脚色:木下恵介
原作:壷井栄
高峰秀子が演ずる大石先生の子どもが
食べるものがなくて
柿の木に上って柿をとろうとして
柿の枝が折れて落ちて死んでしまう。
柿の木の枝は折れやすい。
[No.90]
屋久島沖に眠る
投稿者:
投稿日:2010/12/06(Mon) 14:57
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[No.89]
振りかけられたDDT
投稿者:男爵
投稿日:2010/12/06(Mon) 12:27
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小学校のとき
女子生徒はおかっぱ頭の上から
真っ白くなるまでDDTが振りかけられましたね。
おかげで
ノミもシラミも今では希少昆虫。
その後に
レイチェル・カーソンが著書「沈黙の春」で
DDTを始めとする農薬などの化学物質の危険性を指摘しましたが、当時のアメリカも日本もそんなことは自覚していなかったようです。
DDTが害虫に有効であることを発見したパウル・ヘルマン・ミュラーはスイスの化学者で、1948年にノーベル賞を受賞しましたが、いまとなってはおそろしい毒薬だったのです。
[No.88]
Re: アンクルトリス
投稿者:男爵
投稿日:2010/12/06(Mon) 11:55
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さんらく亭 さん こんにちは
> わたしの古巣でも昭和31年までは職階制度というのがあって社員を
> 職員(ホワイトカラー)と工員(ブルーカラー)に別けて人事管理
> を行っていました
> 工員は新人から年功を積んでいくと 伍長→班長→組長と昇進しても
> そこで行き止まり。その上の主任は職員が就いていました
なるほど
お酒の会社でも組長はあったんですね。
クレヨンしんちゃんが
わざと園長先生のことを組長というのは組を意識して言わせているわけですが
○○組という組織は現代も残っていますね。
阿波踊りの場合、踊りのグループは
○○連です。
[No.87]
Re: アンクルトリス
投稿者:
投稿日:2010/12/06(Mon) 11:04
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組長のあやさん 男爵さん こんにちは
> 京都の大学を卒業して、その某建設に就職したら
> 「準組員を命ずる」という辞令をもらったそうです。
> 半年後に
> 「組員を命ずる」という辞令で正式組員になったとか。
わたしの古巣でも昭和31年までは職階制度というのがあって社員を
職員(ホワイトカラー)と工員(ブルーカラー)に別けて人事管理
を行っていました
工員は新人から年功を積んでいくと 伍長→班長→組長と昇進しても
そこで行き止まり。その上の主任は職員が就いていました
その後この制度が撤廃され職・工の区別(差別)がなくなりました。
戦後の労働運動の中での大きい出来事でした
さんらく亭@甲子園
[No.86]
Re: アンクルトリス
投稿者:男爵
投稿日:2010/12/06(Mon) 07:50
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組長のあやさん こんにちは
> 私も当時の給料袋があるはずなんですが、探してみつかりません。
> 私も同じ年代に就職、すぐに「組長手当」¥300? とか言うのがつきました。
> 10代のときに組長だったんです。トリス並みの組長ですね。
> 組員(部下)はというと、受付の女子2人、うしろに座っていた(何をやっていたのか)女の子2、3人だったでしょうか。
クレヨンしんちゃんの幼稚園の「ひまわり組」のようなもの?
話は変わりますが
黒部の太陽の映画にも出てくる
あのダムの建設に従事した某建設会社にかつていたことのある先生の話
京都の大学を卒業して、その某建設に就職したら
「準組員を命ずる」という辞令をもらったそうです。
半年後に
「組員を命ずる」という辞令で正式組員になったとか。
関西の建設会社は今でも○○組と名乗っている会社があります。
これに対して、関東の建設会社は組をとって○○建設にしたのは、GHQの指導があったからで、関西にはGHQの影響が及ばなかったからという説があります。
[No.85]
Re: アンクルトリス
投稿者:男爵
投稿日:2010/12/06(Mon) 07:41
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> 私の新入社員当時(昭和30)初任給が手取りで¥9910でトリスは1本¥300、角瓶が¥1250、オールドは¥1600でした。ハイボールは1杯¥50だったかな? ハイボールのグラスが大阪では8オンスなのに東京では6オンスと小ぶりなのは東西の文化差でショックでしたね
さんらく亭さん
給料と物価のデータは参考になります。
この比率のままなら
毎月10万円の収入がある人に対して、オールドが16000円ということになってしまいますね。
高級ウィスキーでしたね。(トリスは3000円)
ウィスキーも安くなりました。 日本酒はライバルが多くなったから不利になった?
[No.84]
Re: 農繁休暇
投稿者:男爵
投稿日:2010/12/06(Mon) 07:35
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ナッツ甲さん
> 昭和30年代初め頃でしたが、中学校では、農繁休暇(だったと思うけど、農繁期休暇
> というのが正しいかも)がありました。
> 多分、春と秋の2回だったと思います。農家の働き手を確保するために、生徒を休ませ
> ていました。
東北にはあったと思います。
北海道にはやはり地域によってはあったかもしれません。
私のいたところは炭坑地域だったので、なかったと思います。
[No.83]
Re: 黎明期の「テレビドラマ」
投稿者:男爵
投稿日:2010/12/06(Mon) 07:32
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> > > 横浜は関内の「船員バー」などもおもしろかったですね。
> > 関内は昔から開けているから、楽しいところや歴史的なものが多く
> > また行ってみたいです。
>
> そうです。横浜よりも関内のほうがおもしろく、歴史的なものが多いです。
> いつかお待ちしていますよ。
全国オフのあたりで
オフ前後に何度か山の手の洋館めぐりをして学習しました。
クリスマスの飾りも見ました。
関内駅からスタートして
もう一度、あの洋館巡りをしてみたいものです。
[No.82]
Re: アンクルトリス
投稿者:
投稿日:2010/12/05(Sun) 22:28
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さんらく亭さん、男爵さん
>
> 柳原良平さんとは毎年5月に関内での個展で逢っています。横浜市の名誉市民です。
> 最近、ハイボールが人気復活してアンクルトリスも元気を取り戻しましたね
アンクルトリスは知りませんでした。
でも写真のかわいいおじちゃま、私も持っていたように思います。
トリスの人形でしたか。
>
> 私の新入社員当時(昭和30)初任給が手取りで¥9910でトリスは1本¥300、角瓶が¥1250、オールドは¥1600でした。ハイボールは1杯¥50だったかな? ハイボールのグラスが大阪では8オンスなのに東京では6オンスと小ぶりなのは東西の文化差でショックでしたね
私も当時の給料袋があるはずなんですが、探してみつかりません。
私も同じ年代に就職、すぐに「組長手当」¥300? とか言うのがつきました。
10代のときに組長だったんです。トリス並みの組長ですね。
組員(部下)はというと、受付の女子2人、うしろに座っていた(何をやっていたのか)女の子2、3人だったでしょうか。
>
> 当時は新入社員からだんだんと年期を重ねていくにつれて飲む酒もトリス→レッド→白札→角瓶→オールド とグレードアップしていく秩序(笑)がありました
>
ふふんっ! このへんのところは理解できます。
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