メロウ倶楽部の会員は日本全国で様々な体験をしてきました。
この機会に、「あなたの戦後は?」を色々書いてみてください。
メロウ倶楽部の会員以外の方からの書き込みも歓迎します。
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[No.71]
Re: 黎明期の「テレビドラマ」
投稿者:
投稿日:2010/12/04(Sat) 22:01
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> > 登山などもしていましたが、会社に入社して毎夜のように同僚や
> > 上司、業者の方などと呑んで歩いてましたよ。
>
> あやさん
> それはどのあたりでしたか。
> いっても当時と今では変わっているでしょうね。
> オリンピック直前に横浜で実習生活をおくったのですが
> あのときの工事をしていた横浜駅西口は
> 行くたびに様子が変わっていました。
そうですね。
東京大田区にある会社でしたので、蒲田、大森、品川、新橋、横浜
もう、いろいろな場所でした。
横浜は関内の「船員バー」などもおもしろかったですね。
[No.70]
学校の畑
投稿者:男爵
投稿日:2010/12/04(Sat) 21:39
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中学生のとき
中学校には各クラスの畑がありました。
草取りとかはあまり熱心ではなかったが
大豆やジャガイモが収穫できました。
大豆は若いエダマメのときに収穫して
みんなでわけて家に持って帰って食べました。
クラスの中には農家の子弟がいて
彼らは畑仕事に慣れていて
種まきから、こやし(化学肥料ではない)の与え方まで
みんなに教えるくらいでした。
同級生の中には、いまも現役の農業家もいます。 元気に働いているようす。
風のたよりで元気なうわさを耳にします。
中学校の裏山には植林をして草刈りなども毎年したものでしたが。
[No.69]
Re: ラジオ作り。
投稿者:
投稿日:2010/12/04(Sat) 16:18
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> 尋常小学校5年生の時、”子供の科学”か、またはその様な雑誌で見て、”鉱石ラジオ”作りました、その後、モールス信号へ・・・、一生の運命がそこで変わりました。
BUPさんから10年ほど遅れて生まれた私メが、同じく小学校5年生のときに作ったラジオは、
時代が進んで、「並4」でした。もう今はないと思いますが「ナナオラ」商標の組み立てキットを、
何も分からないまま「実体配線図」通りに組み立てたら、音が出ました。
BUPさん同様、そこで一生の進路が決まってしまったような気がします。
[No.68]
集団就職列車
投稿者:男爵
投稿日:2010/12/04(Sat) 16:07
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金の卵と言われて
中学校を卒業したばかりの少年少女たちが
上りの夜行列車で首都圏に向かい
心細い気持ちで上野駅に降りた。
集団就職のピークは1964(昭和39)年の東京オリンピックの頃だそうです。
[No.67]
Re: ラジオ作り。
投稿者:男爵
投稿日:2010/12/04(Sat) 14:53
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瀬里恵さんの神道や刀剣の知識と電子製品の製作とは
どうもうまくつながらないのですが.....
> 私は、高周波1段→周波数変換→中間周波2段→検波→低周波増幅→
> 電力増幅(42PP)整流管という9球ラジオを好んで作っていました。
> > マイコンという言葉が出てきたのはいつでしょう。
> 1974年、モトローラ社がワンボードのマイコンを発売…とありますから
> これがマイコンという名称ま始まりでしょう。
> 日本では昭和51年に日本電気が日本初のマイコン組み立てキッドを発売
> したそうです。(価格8万8500円)
当時の電子工学の先生が
いまに
子どもでも大型計算機なみのコンピュータを持つようになって
夢のような世界をおくられるようになると予言していましたが
とても信じられませんでした。
[No.66]
Re: ラジオ作り。
投稿者:男爵
投稿日:2010/12/04(Sat) 14:48
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BUPさん 紫竹のさん こんにちは
>
> >尋常小学校5年生の時、”子供の科学”か、またはその様な雑誌で見て、”鉱石ラジオ”作りました、その後、モールス信号へ・・・、一生の運命がそこで変わりました。
>
> へーえ、私は、ついにアマチュア無線には挑戦せずに終わりました。
鉱石ラジオ アマチュア無線
秋葉原の正統ユーザがマイコン雑誌繁盛の基礎を作り
こんにちのパソコン、インターネットの全盛時代につながっていったと思います。
[No.65]
Re: ラジオ作り。
投稿者:BUP
投稿日:2010/12/04(Sat) 11:37
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雑誌”無線と実験”は難しくて、子供にはチョット、手が出せませんでした。
子供の頃(昭和10〜12年ころ)アキバは未だ在りませんでした。
自宅は大森でしたが、品川駅の山側の大井町方向に少し下った道路の右側に問屋さんが並んでいて、子供にも売って呉れておりました。
大森駅の近所、線路の向い側に”東京通信工業”とかの町工場が在りましたが、あれが”SONY”になったのでしょうか・・・
ハムでは最初の送受信機は自作でしたが、SSBになってからは八重洲の”FT-101”を、家族用にはトリオのセットを使ってました。
当家は、家族4人、皆、コールサインを持っていたんです。
車にも2Mを付けてましたが、携帯が普及してからは、皆、ヤメテしまいました。
俺がネットで遊んでいるだけ、家族からはツメタイ目で見られているみたい・・・。
[No.64]
Re: ラジオ作り。
投稿者:
投稿日:2010/12/04(Sat) 09:48
[関連記事] URL:http://fine.ap.teacup.com/serie-brog/ |
男爵さん、皆さん、こんにちは
> > 鉱石ラジオ→真空管ラジオ(4球、5球)→トランジスタの時代に…
私は、高周波1段→周波数変換→中間周波2段→検波→低周波増幅→
電力増幅(42PP)整流管という9球ラジオを好んで作っていました。
> トランジスタのあとはICの現代になりましたね。
> マイコンという言葉が出てきたのはいつでしょう。
1946年、アメリカのインテル社が、真空管とスイッチを使って世界最初の
コンピュータ(ENIAC)を作りました。
翌1947年にアメリカのベル研究所がトランジスタを発明。
1974年、モトローラ社がワンボードのマイコンを発売…とありますから
これがマイコンという名称ま始まりでしょう。
日本では昭和51年に日本電気が日本初のマイコン組み立てキッドを発売
したそうです。(価格8万8500円)
瀬里恵
[No.63]
Re: ラジオ作り。
投稿者:
投稿日:2010/12/04(Sat) 09:44
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男爵さん こんにちは
>トランジスター
>の時代になったのですね。
トランジスターの出始めのころ、ソニー(そのころは東通工だった?)のトランジスター
ラジオのキットを買って作りました。一石増やせば感度が上がるかと思って、試みましたが、
ノイズは増えるばかりで、がっかりしましたっけ。
[No.62]
Re: ラジオ作り。
投稿者:
投稿日:2010/12/04(Sat) 09:44
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BUPさん こんにちは
>尋常小学校5年生の時、”子供の科学”か、またはその様な雑誌で見て、”鉱石ラジオ”作りました、その後、モールス信号へ・・・、一生の運命がそこで変わりました。
へーえ、私は、ついにアマチュア無線には挑戦せずに終わりました。
「無線と実験」誌と言うのがありましたね。スパイダーコイルとか巻きましたよ。
ハネカムコイルと言うのもありましたね。
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