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[No.195] CENSORED 投稿者:小机  投稿日:2010/12/14(Tue) 19:27
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 戦後まもなく、封書の下の部分にセロファンが張られていて
CENSOREDと印刷されていることがありました。
辞書で調べると「検閲済み」という意味らしいと判りましたが
誰が何処でやっているのか子供には分かりませんでした。
 手際が良くてどう開封したのかも判りませんでしたが、その
セロファンも印刷されていた文字も目新しく不思議な感じが
しました。


[No.196] Re: CENSORED 投稿者:男爵  投稿日:2010/12/14(Tue) 19:48
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>
>  戦後まもなく、封書の下の部分にセロファンが張られていて
> CENSOREDと印刷されていることがありました。
> 辞書で調べると「検閲済み」という意味らしいと判りましたが
> 誰が何処でやっているのか子供には分かりませんでした。

そうです
手紙はすべて検閲されたのです。
  いまなら電話もメールもすべて盗聴されたようなもの。

小説「ビルマの竪琴」も細かく検閲され、直されて
ああいう形で発表されたわけです。

童謡「みかんの花咲く丘」も検閲を通らないと発表できなかったのです。

だから
忠臣蔵の映画や芝居はいつ観客の前で上演されたのでしょうか。


[No.201] Re: CENSORED 投稿者:   投稿日:2010/12/14(Tue) 21:16
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小机さん みなさん

>  戦後まもなく、封書の下の部分にセロファンが張られていて
> CENSOREDと印刷されていることがありました。
> 辞書で調べると「検閲済み」という意味らしいと判りましたが
> 誰が何処でやっているのか子供には分かりませんでした。
>  手際が良くてどう開封したのかも判りませんでしたが、その
> セロファンも印刷されていた文字も目新しく不思議な感じが
> しました。

そうでした!
占領初期、日本人が異常なほど冷静で占領軍に対して反抗する
態度がないことに驚いたそうです。新聞や放送の検閲から少し遅れて
民間検閲隊(CivilCensorshipDepartment:CCD)が発足して民間
人の私信まで開封されていました。アトランダムだったのかどうか知りま
せんが私の父宛てのは殆ど検閲済みでした。現在のセロテープのような
薄いのじゃなくかなり分厚い透明テープですが当時は珍しくて感心した
ものです。
父は敗戦時は弘前にある米兵捕虜収容所の副所長をしていて戦犯
指定こそ免れましたが(上官の所長はBC級戦犯に)そのことを気にして
いたので復員後も狙われていると疑心暗鬼で居りました

このことは忘れてしまいたいが忘れられない暗い思い出の一つです(;_;)

    さんらく亭@甲子園


[No.203] Re: CENSORED 投稿者:男爵  投稿日:2010/12/14(Tue) 21:31
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さんらく亭さん

しつこいけれど
このとき
米国は
手紙のプライバシーも
創作も演劇もすべてチェックしたのです。

東大の飛行機を作る学科も研究をストップさせたのです。
http://www.aerospace.t.u-tokyo.ac.jp/event/anniv50/50thanniv.html

戦勝国のしたことはそんなものです。


[No.212] Re: CENSORED 投稿者:   投稿日:2010/12/15(Wed) 10:25
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> 民間検閲隊(CivilCensorshipDepartment:CCD)が発足して民間
> 人の私信まで開封されていました。アトランダムだったのかどうか知りま
> せんが私の父宛てのは殆ど検閲済みでした。現在のセロテープのような
> 薄いのじゃなくかなり分厚い透明テープですが当時は珍しくて感心した
> ものです。

同じような経験があります。どうもアトランダムではなくて、特定の発信者や受信者を
対象にしていたのではないかという気がします。

東京の親戚から来る手紙のなかで、伯父からの手紙だけが、少し黄色味がかった
その「分厚い透明テープ」で閉じてあったのです。伯父は、戦前、船会社のロンドン
駐在員でした。


[No.216] Re: CENSORED 投稿者:小机  投稿日:2010/12/15(Wed) 21:48
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Kenzaさん、みなさん、

> 同じような経験があります。どうもアトランダムではなくて、特定の発信者や受信者を
> 対象にしていたのではないかという気がします。
>
> 東京の親戚から来る手紙のなかで、伯父からの手紙だけが、少し黄色味がかった
> その「分厚い透明テープ」で閉じてあったのです。伯父は、戦前、船会社のロンドン
> 駐在員でした。

 私の大伯父の家族は樺太からの引揚者だったこともあって、普通より
頻度が多いように感じて気にしてました。やってやれない事ではないで
しょうが、余程特別の人でないと、狙っての検閲は難しかったのでは
ないかと思いますが、気にしている人が多かったのですね。

 私自身は、アルファベットの字体のArial Boldが珍しかったし、
セロテープなんて見たこともなかった”文房具”が不思議で不思議でどう
なってるのか、そちらのほうが余程気になりました。

 手紙の検閲ということで、戦争中の憲兵隊とか特高警察を
思い出して嫌な思いをしている人もいたし、隠れてコソコソ
やっていた陰険な特高より、開けっ広げで堂々とやっている
アメリカのほうが明るくて良いなんて見当違いのことを言う
人もいたようでした。