> 私の家は貧しかったので > テレビはなかなか買えませんでした。
私の家も同様でした。なにしろ弟2人との暮らしでした。上の弟が会社へ 入社して、その社宅に住まわせてもらったのです。
そして、そのテレビですが、会社の社長が、 「テレビがあれば外へ遊びに行かなくても済むだろう」 ということで、秋葉原から買ってきてくれたのです。 社宅に住む人たちにも買ったらしいです。代金は給料から毎月引かれたとの ことでしたが、私たちはそれがなく、社長のプレゼントとなったのです。 若者3人姉弟が外へ遊びに出て、お金を使ったり、悪いこと? でもしないかと 心配してくれたのです。うれしかったですね。 そんなことで、ずいぶん若いときからテレビに馴染んでいました。
> 町では > 電気屋さんの前の高いところに置かれた街頭テレビで > 力道山がスターでしたね。
私がアルバイトをしていた喫茶店では大変でした。 店へ入らないで、ガラス越しに人だかりができたのです。
> > > 忘れられないのが「バス通り裏」と「事件記者」でした。 > > > > 「バス通り裏」は、軽快なテーマソングではじまり > > 「等身大」(よりは少しいい暮らし)の市民の日常が描かれていました。 >
「事件記者」はなんとなく見たように思いますが、「バス通り裏」は 見ませんでした。 社長が買ってくださったテレビですが、遊び歩いていてあまり見ない 不良娘だったんです。
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