さんらく亭さん あやさん みなさん
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> 昭和30〜35年まで東京で独身生活。まだゴルフもTVもない時代です > 娯楽は寄席でした。よく行ったのは人形町末広、上野鈴本、新宿末広亭です。 > 柳家小さん、古今亭志ん生、桂文楽が全盛期の頂上という感じで、あとに三遊亭円生 > や春風亭柳橋などが油の乗り切る一歩手前というところでした
オリンピックのころに 大学の(修学)旅行で、東京の高速道路や地下鉄の工事現場を見て回りましたが 泊まった宿の近くに、人形町末広がまだありました。 引率の先生は落語を聞きに行って、「よかった」と言っていました。
> わたしは特に三遊亭円生と若手の古今亭馬生(志ん生の長男、次男は志ん朝)が > 好きで彼らを目当てに一番後ろの値段の安い席によく通いました。 > 歌奴や若手の林家三平や柳亭痴楽などの芸風は邪道だ!と軽蔑していました
歌奴 「もう〈圓歌〉になって三十年たちますが、いまだに〈歌奴〉って呼ばれることがあります 。「山のアナアナ」の『授業中』を初めて高座にかけたのが昭和二十五年で....」
4代目柳亭 痴楽 「破壞し尽くされた顔の持ち主」、「柳亭痴楽はいい男」
私の好きなのは 崇徳院 娘から渡された紙に「瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の」という崇徳院の歌の上の句だけ書いてある。 教養を感じる落語です。
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