昭和7年4月から8年3月までに生まれた人は敗戦の時に旧制中学(女学校)1年生で、進駐軍の命令で学制改革により新制高校が出来たときは高校1年生でした。メロウにも同期の桜が何人かいらっしゃいます神戸市内の私の学校も女学校と合併して新制高校になり、ある日合併式がありました。校庭に男子生徒が横一列に並んで待ち構えているところに女子生徒の一団が入場して来て対面式が行われました。この光景はよく覚えています男子女子ともなかなか融け込めずにいたので体育の時間はいつもフォークダンス。教室の机の配置も前後左右に男女を市松模様に並べるなど学校側も苦労したようです来年が卒業60年になるのでこれが最後というわけで記念同窓会をやろうという話が出ています。たまに会いますが、やっぱり女子のほうが断然元気ですねぇ(゜゜)(。。)連れ合いを亡くしても男子はショボクレるのが多いが女子は逆に元気イッパイというのは何故でしょうかね さんらく亭@甲子園
さんらく亭さん> 昭和7年4月から8年3月までに生まれた人は敗戦の時に> 旧制中学(女学校)1年生で、進駐軍の命令で学制改革に> より新制高校が出来たときは高校1年生でした。 > 神戸市内の私の学校も女学校と合併して新制高校になり、> ある日合併式がありました。校庭に男子生徒が横一列に> 並んで待ち構えているところに女子生徒の一団が入場して> 来て対面式が行われました。この光景はよく覚えています> > 男子女子ともなかなか融け込めずにいたので体育の時間は> いつもフォークダンス。おそらく本人の男子生徒も女子生徒もカルチャーショックだったでしょうね。このショックがもとで丘灯至夫はフォークダンスを体験できなかった憧れとして「高校三年生」の歌詞で ぼくら フォーク・ダンスの 手をとれば 甘く匂うよ 黒髪がと書いたそうです。ところがのちに 阿久悠は体験者として 甘く匂うはずがない 実際は汗くさいだものと本に書いています。さんらく亭さんは軍国少年から、青い山脈まで(高校三年生まで)実際に体験できたというウラヤマシイ生きた昭和の人ですね。
男爵さん> さんらく亭さんは> 軍国少年から、青い山脈まで(高校三年生まで)> 実際に体験できたという> ウラヤマシイ生きた昭和の人ですね。「裏山しい」といえば中学校の裏山で教練の時間に手旗信号の訓練をしたり、裏山の松林で松根油(飛行機のガソリン代用の燃料となる)のための根っこ掘りをしたものです昭和ヒト桁生まれには男女とも名に「昭」のつくひとが多いです。クラスでもそうでしたしメロウ倶楽部でもそうです。年号が昭和になるまでは「昭」の字は殆ど使われる機会がなく(熟語もない)よほど新鮮な感じがしたようです。昭のつく人は昭和1桁と見てほぼ間違いなし小沢昭一、市川昭介、野坂昭如、、、末席ながら私も(^-^)昭和も10年を越すと新鮮さもなくなったのか、「昭」は減り「勝、勇、義、武、猛、忠」などが増えました。知人友人を見てもだいたいその傾向です さんらく亭@甲子園
さんらく亭さん > 「裏山しい」といえば中学校の裏山で教練の時間に手旗信号の訓練をしたり、> 裏山の松林で松根油(飛行機のガソリン代用の燃料となる)のための根っこ> 掘りをしたものです手旗信号はボーイスカウトでやるようですが松根油は言葉を聞いただけです。しかし、石油が欠乏してきたら松根油という方法もありますね。 > 昭和ヒト桁生まれには男女とも名に「昭」のつくひとが多いです。> クラスでもそうでしたしメロウ倶楽部でもそうです。> 年号が昭和になるまでは「昭」の字は殆ど使われる機会がなく(熟語もない)> よほど新鮮な感じがしたようです。昭のつく人は昭和1桁と見てほぼ間違いなし> > 小沢昭一、市川昭介、野坂昭如、、、末席ながら私も(^-^)あとは「和」のつく人もそうでしょうか。 吉行和子、高橋 和巳、松尾和子
男爵さん こんばんは> あとは「和」のつく人もそうでしょうか。> 吉行和子、高橋 和巳、松尾和子「和」は古来からよく地名、人名、普通名詞、和歌などによく使われてきて馴染みのある字です。「昭」はそれまで使われることが殆どなかったので新鮮に響いたのだと思います (だんだんタイトルから逸れていって済みませんねぇ) さんらく亭@甲子園
> (だんだんタイトルから逸れていって済みませんねぇ) さんらく亭さん気にしないでどんどん書いてください。そうすれば忘れていたことも思い出します。戦争中は八紘一宇から、紘一という名前も出てきたようですね。
さんらく亭さん、あやさんちょっと脱線小林旭が歌っていた「惜別の歌」ですがこの歌詞は島崎藤村の「若菜集」にある詩です。ただし、一部を変えてあります。この「惜別の歌」にまつわるキーワードは 中央大学の学生歌 学徒勤労動員 東京女子高等師範学校(現お茶の水女子大学)の女子学生です。くわしくはこちらhttp://duarbo.air-nifty.com/songs/2007/04/post_4858.html 戦前、戦中にわたって男子学生と女子学生はなかなか口をきくのも大変でした。 戦後になって男女交際ができるようになって良かった。 > > 男子女子ともなかなか融け込めずにいたので体育の時間は> > いつもフォークダンス。 > おそらく> 本人の男子生徒も女子生徒もカルチャーショックだったでしょうね。> さんらく亭さんは> 軍国少年から、青い山脈まで(高校三年生まで)> 実際に体験できたという> ウラヤマシイ生きた昭和の人ですね。
> 神戸市内の私の学校も女学校と合併して新制高校になり、> ある日合併式がありました。校庭に男子生徒が横一列に> 並んで待ち構えているところに女子生徒の一団が入場して> 来て対面式が行われました。この光景はよく覚えています> 男子生徒が並んでいるところへ、女子生徒が入場してきて対面式とは、すでにここで女性上位のような感じですね!> > 来年が卒業60年になるのでこれが最後というわけで記念> 同窓会をやろうという話が出ています。たまに会いますが、> やっぱり女子のほうが断然元気ですねぇ(゜゜)(。。)> 連れ合いを亡くしても男子はショボクレるのが多いが女子は> 逆に元気イッパイというのは何故でしょうかね> 女性は元気です。知人の母親は85歳で夫に先立たれましたが、俄然元気が出て、大いに羽を伸ばして遊んでいましたね。さんらく亭さん、不謹慎でごめんなさい。女子のほうが俄然元気ですね。のあとの言葉だったので、> 逆に元気イッパイというのは何故でしょうかねのところを、逆に元気オッパイと読んでしまって、???でした。おかしかったです。
> 女性は元気です。知人の母親は85歳で夫に先立たれましたが、> 俄然元気が出て、大いに羽を伸ばして遊んでいましたね。 さんらく亭さん、あやさん おはようございます。女性の方が長生きします。それは生物学的に説明できるそうです。聖書にはアダムからイブが作られたというが生物を見るとはじめに女性があってそれから男性が作られたようです。あとからできた男性のほうはやはり無理があるようで先に死ぬのだそうです。
男爵さん、こんばんは。> 女性の方が長生きします。> それは生物学的に説明できるそうです。> 聖書にはアダムからイブが作られたというが> 生物を見ると> はじめに女性があって> それから男性が作られたようです。> > あとからできた男性のほうは> やはり無理があるようで> 先に死ぬのだそうです。そのようなことになっているのですか。いつも勉強させてくださってありがとう。
あやさん こんばんは > > 生物を見ると> > はじめに女性があって> > それから男性が作られたようです。これはある生物学の女性教授の本に書いてあったことでした。いま読んでいる「永六輔:お家繁盛 町繁盛」にも同じようなことが書いてありました。 胎児が七週間目で、手、両足がしっかりできてきます。 両足の付け根のところが、割れています。 その割れている両足の付け根が、ふさがって尖ってくるとオチンチンになるんです。 つまり男になります。 だから、ほ乳類というのは最初は全部、女性なんです。 女性でいられなくなったのが男性になるわけです。 本来は女にならなきゃいけなかったのに、なれなかったんです。 なれないんですが、そういうことを言うと、おれが女だったわけがないという男性が多いんですけれども、そうじゃないんです。 ちゃんと男の体には昔、女だった名残がいっぱい残っています。 たとえば乳首がそうです。男の乳首って、なんの役にも立ってないでしょ。 (いまも覚えているギャグ、チチのチチにはチチがない)
僕は昭和9年生まれ、当時初めて発足した新制中学に入りました。だから2年生以上の先輩は居ませんでした。(他校からの編入生もなかった)当時は小学校でも高学年は男女別のクラスでした。中学生になっても男女は別々の教室でした。中学卒業後は工業高校に入ったので、ここは男の生徒ばかりでした。残念ながら女の子と机を並べたことはありませんでした。
マサちゃん > 当時は小学校でも高学年は男女別のクラスでした。> 中学生になっても男女は別々の教室でした。> 中学卒業後は工業高校に入ったので、ここは男の生徒ばかりでした。> 残念ながら女の子と机を並べたことはありませんでした。それは清らかなことで...儒教世界の中国では、男女7歳にしてなんとやらですしイスラム世界でも、食事は男は男だけ、女は女だけのテーブルで食事をします。東北でも、宮城県や福島県は公立高校でも男子校、女子高というのが少なくないようです。私はやめるまで工学部の某学科に勤めていましたが80名中、毎年女子学生は12〜15名くらいいました。やはり女子学生の就職の世話は大変でしたが。