新宿と云うと関東関根組のヤミ市が思い出されます。家が阿佐ヶ谷で、新宿はわりと近かったので、よく行きましたが、東口あたりに関根組(親分は安藤昇☆)の作った架設(店舗)の闇市は、何でもあって、便利この上もなかった。 この親分、なかなかのアイデアマンだったとみえて、宣伝紋句もうまかったようです。以下は有名な新宿中村屋(ここも昔は関根組の『領土』であったようです。)ですが、ここで新宿マーケットの写真が見られます。 http://www.nakamuraya.co.jp/100/showa/s_1946_01.htm☆ 特攻隊崩れの安藤の自叙伝というのは、あちこちの出版社から大歓迎され、方々から引っ張りだこ、安藤は終いには、俳優として自伝映画に主演したりしたようです。
唐辛子 紋次郎さん 祝300番!> 新宿と云うと関東関根組のヤミ市が思い出されます。家が阿佐ヶ谷で、新宿はわりと近かったので、よく行きましたが、東口あたりに関根組(親分は安藤昇☆)の作った架設(店舗)の闇市は、何でもあって、便利この上もなかった。安藤昇の映画がありましたね。鶴田浩二や高倉健の映画と違って本物の迫力がありました。都知事がいう、いわゆる三国人の闘争もあったようです。西部劇の時代だった新宿というところでしょうか。
> 唐辛子 紋次郎さん 祝300番! ワオ、これはスゴイ。さっそく祝杯を挙げなくっちゃ。(^_-)-☆ 日本はいまでもヤクザ社会のような紋ですが、混乱期の終戦直後はとくに沢山のヤクザが暗躍しました。 東京のヤミ社会を活写したR.ホワイトニングの、(六本木の夜を取り仕切ったニックこと、ニコラ・ザペッティ元海軍軍曹☆にとくに詳しい)本を読めば、驚きの連続です。このころから日本はイタリア系と関係が深かったのですね。 ホワイトニングには、さきの安藤昇ももちろん、登場します。自民党の生みの親で、ロッキード事件の被告、日本プロレスリング協会(力道山なども所属)の会長だった、児玉誉士夫もでてきます。 日本の戦後は、こうした怪物どもの活躍で始まったんだなあ、と感慨ひとしおです。 当時、ヤミ市で売られた商品のなかにも、正当なルートのものだけでなく、かれらが米軍から盗んだものも、大量に混じっていたようですね。 ☆ かれはNYの貧民街、家の周りがすべてマフィアの仲間だらけ、というお誂え向きの環境。つまり、ハーレムで誕生)
唐辛子紋次郎さん 男爵さん こんばんは > 都知事がいう、いわゆる三国人の闘争もあったようです。> 西部劇の時代だった新宿というところでしょうか。神戸では敗戦の直後から国鉄三宮駅の高架下から神戸駅までの間は闇市が並んで、ほとんど治外法権の地帯でした。戦前から神戸に多く住んでいた在日朝鮮人、在日中国人は日本人と同じ敗戦国民ではないがアメリカと同じ戦勝国民でもない。そこで「第三国人」という表現が使われました。多くは善良な市民ですが中には日本の法律に従う必要はないと禁制品の横流しや暴力事件を起こす連中も増え、三国人には日本の警察も手を出すのを恐れていました貧乏学生時代空腹に耐えかねると三宮のジャンジャン市場という闇市で芋の代用食、芋ぜんざいなどをガツガツとかきこんだものです石原慎太郎が三国人との表現を使って差別だとか侮辱だとか批判されましたがこの批判は無知によるまったくの間違いであることが後日周知されました。石原は私と同じ昭和7年神戸生まれなので当時のことが分かっていたのです。彼が「太陽の季節」で障子破りをしたころ私は母親の手伝いで障子張りをしました。エライ違いですわ(;_;) さんらく亭@甲子園
さんらく亭さん、男爵さん、みなさん、こんばんは。> > 都知事がいう、いわゆる三国人の闘争もあったようです。> > 西部劇の時代だった新宿というところでしょうか。> 神戸では敗戦の直後から国鉄三宮駅の高架下から神戸駅までの間は闇市が並んで、> ほとんど治外法権の地帯でした。> 戦前から神戸に多く住んでいた在日朝鮮人、在日中国人は日本人と同じ敗戦国民> ではないがアメリカと同じ戦勝国民でもない。そこで「第三国人」という表現が使われました。多くは善良な市民ですが中には日本の法律に従う必要はないと禁制品の> 横流しや暴力事件を起こす連中も増え、三国人には日本の警察も手を出すのを> 恐れていました あのころ、第三国人は、怖いもんなしでしたねえ。> 石原慎太郎が三国人との表現を使って差別だとか侮辱だとか批判されましたがこの> 批判は無知によるまったくの間違いであることが後日周知されました。> 石原は私と同じ昭和7年神戸生まれなので当時のことが分かっていたのです。> 彼が「太陽の季節」で障子破りをしたころ私は母親の手伝いで障子張りをしました。> エライ違いですわ(;_;) 親孝行のさんらく亭さんが、いくらせっせと障子張りをされても、同じ神戸出身のアプレゲールさんに、片っ端から障子を破られたんじゃ、堪った紋じゃありませんねえ。(-_-;)
さんらく亭さん、 唐辛子 紋次郎さん、みなさん、 おはようございます。> あのころ、第三国人は、怖いもんなしでしたねえ。> > 彼が「太陽の季節」で障子破りをしたころ私は母親の手伝いで障子張りをしました。> > エライ違いですわ(;_;)> > 親孝行のさんらく亭さんが、いくらせっせと障子張りをされても、同じ神戸出身のアプレゲールさんに、片っ端から障子を破られたんじゃ、堪った紋じゃありませんねえ。(-_-;)障子を張る人、破る人ですか。地震の前の三宮のガード下の店で高校の時の友人と飲んだことがあります。神戸の大学で学会のあった時でした。もうその友人もあの世に旅立ってしまいました。神戸の南京町で買い物をしたことがあります。神戸で大学院に通っていた留学生とトルコ料理の店に入ってシシカバブを食べたことがあります。神戸にはモスクがあるようです。この留学生は神戸から東京に引っ越してきて、たまに池袋で会います。