私は子どものころに住んでいた炭鉱の町には 大きな映画館がありました。 毎日、上映する映画は変わります。 毎月はじめには一ヶ月の上映計画リストが各家庭に配布されます。 青い山脈 羅生門 シェーン などたくさんありました。
終戦後まもなくは、その映画館はまだできていなくて 小学校の体育館で夜に上映したり 公民館の窓を黒いカーテンをで覆ってから昼間に上映したりしていました。
あのころは 進駐軍の規制のせいか 時代劇、ましてや忠臣蔵などはなかったと思います。 しかし、銭形平次だけははやばやと映画を見たことがあります。 銭形平次は庶民の味方で、作者が文化人で進駐軍にも知り合いがいたから 許可されていたのかもしれません。
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