唐辛子 紋次郎さん
> じつは東京オリンピックは翌年の1964(昭和39年)年なのですが、その前年に長男が生まれたので東京オリンピックはとくに印象が深い。
アベベは快調そのもので、まだまだ走られるよという姿の傍らで 円谷幸吉選手は限界、よく頑張ったと(ほめてあげたい)いうシーンでしたね。 あのあとの彼の不幸な人生を考えると、地道なコーチとしての道もあったのにという思いです。 > 昭和38年は吉展ちゃん事件だの狭山での女子高生殺人事件だの、国鉄鶴見での事故、また三池で炭鉱爆発事故だの悲しい事件、力道山の刺殺事件など数多くあったけれど、...
吉展ちゃん事件では、言語学者の指摘はまったく正解、そしてお手柄刑事の活躍でしたね。 リングの上で強い力道山も刃物にはかなわなかった。
> もっとも、その裏で、三億円事件も起こったけれど…。
三億円の犯人は頭が良い。誰も損をしなかった。 保健会社が損をした。
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