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[No.547] 元軍曹と元少尉 投稿者:   投稿日:2011/01/29(Sat) 00:10
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 啓蟄にはまだひと月の余、早いようですが、早い春の到来を願って、きょうは嫌がる横井庄一軍曹と小野田寛夫少尉殿を、これもお国の為だと言い含めて、この会議室まで引っ張ってきました。

 まずグアム島のジャングルに身を潜めていた軍曹殿ですが、昭和47年(1972年)、28年ぶり発見され、やっと故国の土を踏み日本中を驚かせました。

 帰国第一声の「恥ずかしながら」というのが、その年の流行語になりました。

 それから二年たって、今度はフィリピンのルバング島に隠れていた少尉殿は、あらたに結成された我が捜索団の手によって発見され無事帰国しました。

 少尉殿はよき妻を得て、とおくブラジルへ移住し、そこで牧場を経営し、第二の人生を歩むことになった。

 また、終戦しらずのもと少尉殿は、前線では情報将校であったとそうです。


[No.549] Re: 元軍曹と元少尉 投稿者:男爵  投稿日:2011/01/29(Sat) 08:30
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唐辛子 紋次郎さん

>  啓蟄にはまだひと月の余、早いようですが、早い春の到来を願って、きょうは嫌がる横井庄一軍曹と小野田寛夫少尉殿を、これもお国の為だと言い含めて、この会議室まで引っ張ってきました。

>  帰国第一声の「恥ずかしながら」というのが、その年の流行語になりました。

投降してはいけないという命令が
横井さんをしばったのでした。

>  それから二年たって、今度はフィリピンのルバング島に隠れていた少尉殿は、あらたに結成された我が捜索団の手によって発見され無事帰国しました。

小野田少尉については
横井さんも現地に行ってジャングルに呼びかけたし
鈴木紀夫青年が現地で接触し日本の現状説明したから
ようやく帰国する気になったのですね。

しかし
軍人らしく
あくまでも、直属の上官の解除命令によって
帰国したのです。
そこはたいへん規則的!

それは
小野田少尉は、陸軍中野校で
「死なずに、迎えに行くまで、戦い続けよ」
と教えられ
それを最後まで実行したのですね。


[No.553] Re: 元軍曹と元少尉 投稿者:   投稿日:2011/01/29(Sat) 11:47
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> 投降してはいけないという命令が
> 横井さんをしばったのでした。

『戦陣訓』の中の「生きて虜囚の辱めを受けず」との教育が徹底していました。
子供のころ叔父(南支、仏印へ転戦)に見せてもらった記憶がありますが軍隊手牒
(軍人の必携)の中に軍人勅諭と戦陣訓があって徹底的に叩き込まれたそうです

横井さんなどの軍人だけでなく、サイパンでの多くの民間人はこの戦陣訓の精神に
しばられてアメリカ軍の投降勧告に従わず自殺されました(嗚呼。。。)

    さんらく亭@甲子園