唐辛子 紋次郎さん
> 啓蟄にはまだひと月の余、早いようですが、早い春の到来を願って、きょうは嫌がる横井庄一軍曹と小野田寛夫少尉殿を、これもお国の為だと言い含めて、この会議室まで引っ張ってきました。
> 帰国第一声の「恥ずかしながら」というのが、その年の流行語になりました。
投降してはいけないという命令が 横井さんをしばったのでした。
> それから二年たって、今度はフィリピンのルバング島に隠れていた少尉殿は、あらたに結成された我が捜索団の手によって発見され無事帰国しました。
小野田少尉については 横井さんも現地に行ってジャングルに呼びかけたし 鈴木紀夫青年が現地で接触し日本の現状説明したから ようやく帰国する気になったのですね。
しかし 軍人らしく あくまでも、直属の上官の解除命令によって 帰国したのです。 そこはたいへん規則的!
それは 小野田少尉は、陸軍中野校で 「死なずに、迎えに行くまで、戦い続けよ」 と教えられ それを最後まで実行したのですね。
|