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[No.571] 開高健の「トリスを飲んで」は昭和36年ですが… 投稿者:   投稿日:2011/01/31(Mon) 11:32
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 壽屋(現サントリー)のコピーの内でも不朽の名作、「トリスを飲んでハワイに行こう」が生まれたのは昭和36年ですが、電話番号まで織り込んだ伊東温泉の「ハトヤ」のコピー。「伊東へ行くならハトヤ、電話はヨイフロ(4126)、あれはあれでまた、上手かったですねえ。だれが作ったのか知らないけれど。


[No.572] Re: 開高健の「トリスを飲んで」は昭和36年ですが… 投稿者:男爵  投稿日:2011/01/31(Mon) 12:33
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唐辛子 紋次郎 さん

>  壽屋(現サントリー)のコピーの内でも不朽の名作、「トリスを飲んでハワイに行こう」が生まれたのは昭和36年ですが、電話番号まで織り込んだ伊東温泉の「ハトヤ」のコピー。「伊東へ行くならハトヤ、電話はヨイフロ(4126)、あれはあれでまた、上手かったですねえ。だれが作ったのか知らないけれど。

うまいコピーですね。
山口瞳の作でしょうか。
ここらは、さんらく亭さんに聞いてみたいところです。

おかげさまで
この掲示板もにぎわいました。
次のテーマも是非よろしくお願いします。


[No.575] Re: 開高健の「トリスを飲んで」は昭和36年ですが… 投稿者:   投稿日:2011/01/31(Mon) 14:26
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男爵さん 唐辛子紋次郎 さん

> うまいコピーですね。
> 山口瞳の作でしょうか。
> ここらは、さんらく亭さんに聞いてみたいところです。

呼ばれたような気が、、(^_-)/

これは山口瞳の作です

正確には「トリスを飲んでHawaiiへ行こう!」

当時はまだ海外旅行は夢のまた夢でした
トリス(¥330)でその夢が実現するかもという。
海外渡航が自由化するのは3年後の1964年で、この時の
一等賞品は「ハワイ旅行積立預金証書」でした。
来たるべき自由化を見越しての賞品だったのです

開高健が作ったのは、これです。同じ年です

『人間』らしく
  やりたいナ 

 トリスを飲んで
 『人間』らしく
  やりたいナ

  『人間』なんだからナ

時代は、高度経済成長、消費革命の真っ只中で人々は経済的な
繁栄が幸せをもたらしてくれると信じて馬車馬のように働いて
いた。しかし心の何処かに一抹のムナシサがなかったとは言えない。
そこのところが人々の共感を呼んだのだと思います

開高さんとは1956年ごろ労組の執行委員仲間として、山口さん
とは1960年から2年間社宅の隣人としてお付き合いがありました


       さんらく亭@甲子園