[掲示板へもどる]
一括表示

[No.8] 藷を担いで 投稿者:   投稿日:2010/12/01(Wed) 13:15
[関連記事

みなさん こんにちは

皆さんもいろいろな戦後をご経験でしょう。私もそれなりの戦後を経験しました。その一つ。

昭和20年9月(だったと思います)に、焼けてはいないけど食糧の少ない京都から、祖母が疎開している、そして、祖母の故郷である勝沼村に呼んでくれました。極めて手に入りにくい切符をどうして手に入れたか忘れましたが、とにかく手に入れ、列車に乗りました。母が、なけなしの米を使って焼きおにぎりを作ってくれたのは覚えています。

とにかく、今の通勤電車のように混んだ列車で、名古屋から中央本線で勝沼へ行きました。

一週間くらいいたでしょうか、そのあと、貰った藷(サツマイモ)をリュックいっぱいに詰めて、焼け野が原の東京(の伯父の家)に向かいました。
その時の切符の入手も大変でした。なんだか、役場の人に頼んで手に入れたように覚えています。

重いリュックを背負って駅まで歩きました。ご存知の方もあるかと思いますが、勝沼(今は、勝沼ぶどう郷)の駅は、村から登り坂をかなりの距離歩かねば到達しません。おなかぺこぺこ、下痢気味の体でよく歩いたものと、今更感心しています。

勝沼、初鹿野(今は甲斐大和という変な名前の駅)、笹子、初狩、、、、と東京方面に行くのです。ところが、笹子に着いたら列車が動かない。なんでも、先行の貨物列車が脱線したとか。これは困った。一体どうなるのだろう。

しばらくすると、結局、次の駅まで歩くと言うことになりました。下りではあるのですが、今見ると直線距離で5kmくらいありますね。この距離を、みんな重いリュックを背負ったり、風呂敷包みを持ったりして歩いたのです。うまい具合に、初狩駅には列車がいました。我先にと飛びついて乗った列車の席はちょっと良い席。何かと思えば、戦災で客車が少なくなっているので二等車を三等代用としていたのに当たったのでした。これは楽チンと思いました。クッションもいいし、ね。

この辺りの駅は、たいがい、スイッチバックになっています。今は、スイッチバックなど、箱根登山電車くらいしか経験できないでしょうね。そのスイッチバックの駅の一つにに入った時、電気機関車の運転手が降りて来て、ブレーキが効きにくい、どれかおかしい客車がある、と点検を始めました。そして、私の乗っている客車のブレーキが締まらないことを見つけ、このまま走ったら、この客車が浮いてしまって脱線の危険があるから外さねばならないなどと言っている。これはえらいことになった。せっかく乗ったのに、そして、いい客車に当たったのに、これを降ろされたら、ぎっしり詰まっているこの列車のどこに乗る隙間があるのか。困ったぞ。

運転手とその助手が、客車の下に入ってみたり、ブレーキをかけたり、締まり具合を見たり、あれこれやっているうちに、閉まっているバルブを見つけ、それを開けたら締まるようになった。やれやれ。
運転しているだけで、ブレーキの効きの不具合を感じとったり、その原因を調べて見つけてくれて直した運転手の技量と技術に感心するやら、感謝するやらでした。

新宿について、伯父の住んでいる、と言っても、家は焼けてなく、近所の焼け残ったお蔵に仮住まいしているところへ向かいましたが、どうやって行ったのか。今はもう、断片的にしか思い出せません。


[No.10] Re: 藷を担いで 投稿者:   投稿日:2010/12/01(Wed) 20:09
[関連記事

紫竹のさん、 みなさん こんにちは

> とにかく、今の通勤電車のように混んだ列車で、名古屋から中央本線で勝沼へ行きました。

今でも中央線の旅は旅らしいので、当時ならそうとう時間がかかったことでしょう。

> この辺りの駅は、たいがい、スイッチバックになっています。今は、スイッチバックなど、箱根登山電車くらいしか経験できないでしょうね。そのスイッチバックの駅の一つにに入った時、電気機関車の運転手が降りて来て、ブレーキが効きにくい、どれかおかしい客車がある、と点検を始めました。

スイッチバックは盛岡宮古間の山田線にあります。
長野から松本に行く姨捨もスイッチバックになっています。

> 運転しているだけで、ブレーキの効きの不具合を感じとったり、その原因を調べて見つけてくれて直した運転手の技量と技術に感心するやら、感謝するやらでした。

やはり技術者ですね。

> 新宿について、伯父の住んでいる、と言っても、家は焼けてなく、近所の焼け残ったお蔵に仮住まいしているところへ向かいましたが、どうやって行ったのか。今はもう、断片的にしか思い出せません。

いまの新宿の風景とは全然違ったことでしょう。