メロウ倶楽部の会員は日本全国で様々な体験をしてきました。
この機会に、「あなたの戦後は?」を色々書いてみてください。
メロウ倶楽部の会員以外の方からの書き込みも歓迎します。
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[No.381]
墓地だから?
投稿者:男爵
投稿日:2010/12/30(Thu) 19:55
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> 以前、どこかでアップしたと思いますが、私は平成4年の春、
> 鎌倉の西洋長屋から葉山の現在地に家を新築し転入しました。
> 玄関ホールの床にジーッと耳を澄ますと、確かに床下から
> トントントン、トントントンとノックしているのが聞こえる。
> もしかして我が家の敷地は、不明になった元墓地で墓の仏が
> 自分の墓の上に予期せぬ建物が建ったので不審に思いノックして
> いるのかな??と…。
瀬里恵さん
いわゆる地縛霊のことでしょうか。
瀬里恵さんは
霊感の強い方かもしれませんね。
[No.380]
Re: 先生をいじめて
投稿者:
投稿日:2010/12/30(Thu) 15:34
[関連記事] URL:http://fine.ap.teacup.com/serie-brog/ |
あやさん、皆さん、幽霊話のついでにもう一つ〜。
以前、どこかでアップしたと思いますが、私は平成4年の春、
鎌倉の西洋長屋から葉山の現在地に家を新築し転入しました。
転入して間もなく、お婆ぁが青い顔をして「誰か床下でトントン
叩いていますヨ。」と呼びにきました。何事かと思ってお婆ぁ
の示す玄関ホールの床にジーッと耳を澄ますと、確かに床下から
トントントン、トントントンとノックしているのが聞こえる。
我が家の床下はコンクリートの布基礎を廻らし、風通しの穴には
目の細かい金網を張ってあるので蟻のような小さい虫以外は
誰一人はいれない筈〜〜。
試みに足でドンと踏みつけると、その音は一時中断するが
暫くするとまた始まる。
思うに、我が家の背面には日蓮宗のお寺があり、お墓などもある。
もしかして我が家の敷地は、不明になった元墓地で墓の仏が
自分の墓の上に予期せぬ建物が建ったので不審に思いノックして
いるのかな??と…。
そんな事が毎日続くので家を設計施工した建築士に来てもらって
台所の地下収納庫を取り払った処から潜って調べてもらった所
なにも不審なものはいない〜と。
そのとき盛塩して念仏を唱えて貰ったのか、それ以後音は
しなくなりました。
さてそれから何ヶ月か過ぎたある夜、深夜に寝ている私の寝巻の
袖口をチョンチョンと引っ張る奴が居る。ナンジャと思ったものの
ぼけーっと気に掛けないでいると、又チョンチョンと引っ張る。
今度は意識が冴えて、ナンだよと振り向くと、そこに黒い影が座っ
ているではないか。えっ?錯覚かと見直すとその陰は数秒後に
スーッと消えた。
その後も私の布団の上に誰かが乗っかったり(重さは軽い)トン
と踏み鳴らす響きがしたり、怪現象が時々起ります。
家族はそんな怪現象は感じないようで無頓着…。
なので家族に話すと、うちの爺さま〜いよいよボケたかと
思われ兼ねないので沈黙を守っているが霊感能力があるのかもネ。
瀬里恵
[No.379]
Re: 先生をいじめて
投稿者:千葉の小猿
投稿日:2010/12/30(Thu) 11:08
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あやさん
>
> 先生に「青ひょうたん」が言いつけたのでしょうか。
> 先生に告げ口をする子がいましたね。先生という職業は大変なk¥ものですね。
>
悪知恵はガキのころからあります。先生に告げ口するのを見越した単発のイジメです。
空襲でみんな家を焼かれ青ひょうたん君とは別れ別れになり風の便りですが。
青ひょうたん君は国民学校時代ダントツの成績でしたが大学は第一志望に失敗したとかです。
高校時代をふくめて悪童のなかに親の中小型船のスクリュウ加工業を継いだのがいます。
昭和30年代NC加工機もありませんので技能のいる仕事です。
この加工精度によっておおげさに言えば船の速度燃費が左右されます。
こんな人たちが製造業の発展を下支えしたと信じています。
千葉の小猿
[No.378]
化粧品のにおい
投稿者:男爵
投稿日:2010/12/30(Thu) 05:49
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Kenzaさん、あやさん、みなさん
> それにしても化粧品の香りに悩まされていたなんて!
> でも、よくわかります。
>
> 私は化粧をし始めたのが遅かったので、20代のころは会社のバス旅行が
> 辛かったです。乗り降りするたびに、あの強烈な匂いのバスへ戻らなければ
> いけないので。
大学の入学試験のときです。
ある男の受験生からクレームが出ました。
前の席の女の受験生の化粧品のにおいがきついと。
結局、この受験生を別の部屋に移動させたそうです。
ほかにも
近くに座った受験生の貧乏ゆすりが気になるという訴えがあったりで
受験本部は対策と指示で忙しい。
[No.377]
Re: 先生をいじめて2
投稿者:
投稿日:2010/12/29(Wed) 21:31
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またもや思い出しました。
中学校時代のことです。英語のK先生は沖縄の方でした。
そのK先生には特別かわいがっていただきました。
なのに、頭が禿げていることと、姓に「金」の字がつく
ことから、「金ツル」とあだ名して呼んでいました。
小使いのおじさんは「12キロワット」でした。先生より
頭が禿げ上がっていたのです。
そのおじさんには「12キロワット」と叫ぶものですから
よく追いかけられました。
そこへいくと金ツル先生はたいしたものでした。恰幅のいい
体でびくともせず、「実れば実るほど頭を下げる稲穂かな」
と例えをおっしゃったのです。私も実っているのだよと言わ
れているようでした。おじさんとは対照的で怒られるなんて
こともありませんでした。
尊敬して止まない懐かしい先生です。
[No.376]
Re: 学生寮と質屋
投稿者:
投稿日:2010/12/29(Wed) 21:13
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> 学生寮ではありませんが、元女子寮だったという男子寮に入ったことがあります。窓には、刑務所
> のような頑丈な格子があり、長い間、化粧品の香りが抜けませんでした。格子は、男子寮になっても
> そのままでした。
そうでしたか。元女子寮は格子で護られていたのですね。
男子寮になっても取り外されなかったとは、そこから外を見ていた
男子は刑務所に収容されたように見えたでしょうね。
それにしても化粧品の香りに悩まされていたなんて!
でも、よくわかります。
私は化粧をし始めたのが遅かったので、20代のころは会社のバス旅行が
辛かったです。乗り降りするたびに、あの強烈な匂いのバスへ戻らなければ
いけないので。
[No.375]
Re: 先生をいじめて
投稿者:
投稿日:2010/12/29(Wed) 19:26
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さんらく亭さん こんばんは
>
> 「先生いじめ」が出来なかった悔しい思い出話です(;_;)
先生をまったくいじめたことないって! そんな優秀な方がいるなんて(^_-)-☆
> 殆どの先生方は敗戦という現実に落胆しながらも復興に向かって
> 力を合わせて頑張ろうということを生徒に言い聞かせながら授業や
> 近くの揖保川の河原の学校農園で農作業に頑張っておられました
そういう時代でしたですね。都会では味わえないことです。
>
> 劣等生数人が寄り集まってこの野郎(Y先生)をなんとか懲らしめて
> やろうと密かに相談しましたが中々いい智恵が出ません。その内に
> 私は疎開前の神戸へ転校したのでその後の様子は知りませんでした
> が5年前に同窓会(私は高校になる前に転出したので併設中学校
> 修了という形の準会員)に出席して57年ぶりに仲間とその話をしたら、
> その懲罰計画は不発に終わったそうです。
>
57年ぶりに話をなさったんですか、そのときはもう懐かしい思い出
話でもする気持ちだったんでしょ。でも不発に終わったことは残念でしたね。
> いまの高校生と違って当時の田舎の生徒は純朴で素直でしたね
そうでしょうね。そう思います。
[No.374]
Re: 学生寮と質屋
投稿者:
投稿日:2010/12/29(Wed) 19:19
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桐子さん、
>
> その後、件の寮費の2倍はする学校の女子寮に入りました。
> 男子禁制、私も勤勉な学生として(笑)勉学に勤しみました。
すごいわ! 尊敬です。そんなにしてまで勉強をなさったとは。
>
> > 質屋にも行ったなんて、すごい! すごい!
> > 質屋のショーケースにも近づくことはできませんでした。
>
> 良家のお嬢様だったあやさんは、スッカンピンの悲しさは
> 想像できないでしょうね。(^^ゞ
だって、質屋に行くには質草がいるんでしょ?
スッかピンどころではなく、質草さへなかった暮らしです。
良家どころではありません。貧乏のどん底にいました。
[No.373]
Re: 先生をいじめて
投稿者:
投稿日:2010/12/29(Wed) 19:18
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あやさん みなさん こんばんは
「先生いじめ」が出来なかった悔しい思い出話です(;_;)
戦時中に「鬼畜米英撃滅、神州日本は不滅だ 負ける筈がない」と
叫んでいた教師(国漢のY先生)が敗戦後には反省もなく手のひら
を返すようにアメリカは素晴らしい、日本人は劣等民族だなどと言い
出して校長や教頭より大きな顔をしていました
殆どの先生方は敗戦という現実に落胆しながらも復興に向かって
力を合わせて頑張ろうということを生徒に言い聞かせながら授業や
近くの揖保川の河原の学校農園で農作業に頑張っておられました
劣等生数人が寄り集まってこの野郎(Y先生)をなんとか懲らしめて
やろうと密かに相談しましたが中々いい智恵が出ません。その内に
私は疎開前の神戸へ転校したのでその後の様子は知りませんでした
が5年前に同窓会(私は高校になる前に転出したので併設中学校
修了という形の準会員)に出席して57年ぶりに仲間とその話をしたら、
その懲罰計画は不発に終わったそうです。
いまの高校生と違って当時の田舎の生徒は純朴で素直でしたね
さんらく亭@甲子園
[No.372]
Re: 先生をいじめて
投稿者:
投稿日:2010/12/29(Wed) 19:15
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> 先生をいじめるのは骨が折れます。
> 今でも覚えているのを二つ。
> 論語で「子曰く」と言うのがありますが子曰くはどう活用しますか。
> 「ここは国語の時間です。漢文の先生に質問しなさい」別の先生は「しらべて後で説明します」
> 先の先生は相当長期に機嫌が悪かったとのことです。後の先生は後刻「漢文で日本語とは違うが強いて言えば副詞で動詞の機能を持っている」と説明があったとのことです。
2人の先生の違いがよくわかりますね。
> 戦中の国民学校の時です。
> 「青ひょうたん」とあだ名がついた一人だけがいつも完全に宿題をしてくるので先生が「◯◯君の爪の垢を煎じて飲め」です。
> 下校途中で悪童どもが◯◯君を取り囲みはさみを出して「煎じて飲むから爪を切らせ(もちろん実際には切らなかった)」です。以後先生は「爪の垢を煎じて飲め」と決して言いませんでした。
先生に「青ひょうたん」が言いつけたのでしょうか。
先生に告げ口をする子がいましたね。先生という職業は大変なk¥ものですね。
中学の国語のおばあさん先生によくたてをつきました。
記念写真を撮る日に新しい洋服を着てきた金持ちの娘がいたんです。
「写真を撮るからいい洋服を着てきたの」と言ったら泣いて、そこへ
先生が来て、怒られました。「あとで職員室へきなさい」
職員室へ行き、いろいろ言われました。私は、
「先生、贔屓ですね。贔屓ってどういうことでしょうか?」とか何とか
言って先生を困らせたものです。
そばにいた若い男性教師連中は、「もっとやれ」と言うようににやにや
笑っていました。あとで、
「よくやった」でしたよ。
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