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[No.6613] 私とビデオ1 投稿者:多摩のけん  投稿日:2014/07/26(Sat) 00:49
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私は、若いころは写真は撮っていたが、動画には全く縁がなかった。縁がないというよりは、経済的に8ミリなどを楽しむことは許されなかった。
写真は、かなり凝っていて、高校時代から、家で現像、引き伸ばしなどもやっていた。
夜、4畳半の部屋に暗幕を張り巡らし、氷酢酸の刺激臭に悩まされながら、夜遅くまでやっていた。
大抵、土曜日の夜やって、翌日の日曜日に乾燥、切断などしていたが、昼明るいところで見ると、ピントが甘かったりしていてた苦い経験を思い出す。
それでも、大学卒業の時は、自分の所属したゼミの卒業アルバムを14人分、一人で作り、他のゼミのものからヤッカミの苦情を聞きながらも1人得意になっていた。
そのころから、私はイヤミな人間だったのですね。(ー_ー)!!

                              つづく


[No.6614] 私とビデオ2 投稿者:多摩のけん  投稿日:2014/07/26(Sat) 01:12
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写真がビデオになったキッカケは、孫が生まれてから。
娘が結婚し女児を私の近くの病院で出産し、しばらく拙宅に身を寄せていた。
娘婿は、土曜に来て1泊し日曜に帰っていく日が続いたが、娘婿がいない日にも孫を撮ってほしいとビデオ・カメラを置いて行った。
ビデオ・カメラは使ったことがないので、操作法を教えてもらって、孫を撮り続けた。
赤ん坊は、表情が刻々と変わるので、撮っていても結構楽しい。
その孫娘が、今や大学3年生になり、我が家に寄宿して、大学に通っている。

                                 つづく


[No.6615] 私とビデオ3 投稿者:多摩のけん  投稿日:2014/07/26(Sat) 01:29
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その頃、ビデオに関しては全くの素人で、ただ、ひたすら可愛い孫の姿を撮り続けていた。
後で見ると柱が斜めになっていたり、ベビーベッドの横に汚れたおむつ入れのポリバケツが写っていたり...
わが奥方から「これでは人様に見せられない」と文句を言われた。
いまは使い捨てのおむつだが、当時は、いわゆる「オシメ」だったような気がするが、このあたりの記憶は、定かでない。

                      つづく


[No.6616] 私とビデオ4 投稿者:多摩のけん  投稿日:2014/07/26(Sat) 01:48
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娘と孫娘が自分の家に帰っていった。ビデオ・カメラとともに...
心にポッカリと穴があいてしまった。

ビデオ・カメラは、娘婿が持っていたのと全く同じ機種のものを買った。
でも、何を撮ればいいのだろう?

その時、わが奥方が「ここにビデオクラブの会員募集をしているわよ」
と市報を持ってきてくれた。

いつもケンカばかりしているのに、やはり私のことを考えてくれているのだ、
と、ジンとくるものがあった。

「ありがとう」と素直に感謝して、そのクラブに見学に行くことにした。

                                 つづく


[No.6617] 私とビデオ5 投稿者:多摩のけん  投稿日:2014/07/26(Sat) 02:06
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ビデオクラブの会合は、市の中央公民館(現・中央学習館)の視聴覚教室であった。
出席者約10名。みんな高齢者であった。

自分で撮ったビデオをみんなに見せあっていたが、驚いたことに、ところどころ、
テレビで見るような「テロップ」が入っていた。

自分たちの素人でも、テレビのようなビデオができるのだ、という衝撃は今でも生々しく
覚えている。

この衝撃が、ビデオにのめり込むキッカケとなった。

                                 つづく


[No.6618] Re: 私とビデオ5 投稿者:まや  投稿日:2014/07/26(Sat) 11:24
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多摩のけんさん、今日は!

 ビデオを感心しながら、楽しく拝見しています。

 カメラは父が趣味にしていたので、フィルムの現像から焼き付け、引き伸ばし
など、子供のころから父のそばで見ていたので思い出がいっぱいです。それに、
父が会社の8ミリで撮影した山でキャンプしている動画など(私が8歳くらいの
ときのもの)懐かしいですが、そのフイルムと映写機は会社にあったので今はど
こへやら?

 技術が進んでいるし、機材を入手しやすくなっているので、昨今はどんどん
趣味人が増えていますね。

 これからもいろいろとすばらしいビデオを拝見させてくださいませ。

まや


[No.6619] Re: 私とビデオ5 投稿者:多摩のけん  投稿日:2014/07/26(Sat) 22:05
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まやさん、こんばん

>ビデオを感心しながら、楽しく拝見しています。

  早速拙文を読んでくださってありがとうございます。

> カメラは父が趣味にしていたので、フィルムの現像から焼き付け、引き伸ばし
> など、子供のころから父のそばで見ていたので思い出がいっぱいです。

  大学まではやっていたのですが、卒業して会社に入ってからは、暗室を作る部屋などなく
  撮影オンリーになってしまいました。

                                  多摩のけん


[No.6620] 私とビデオ6 投稿者:多摩のけん  投稿日:2014/07/26(Sat) 22:37
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まず、編集するために最低限必要な機材を揃えた。
当時のカメラは「Hi-8」という規格のアナログ・テープであった。
このテープで撮影した「素材映像」を次のような「流れ」で編集するのである。

1.ビデオデッキ(1)で「素材映像」を送り出す。
2.ビデオダッキ(2)で「素材映像」を録画する。

編集原理は、この2工程であるが、そのまま録画しても、「素材映像」がもう1本できるでかなので、
ここで「編集」の作業が入る。

このために8ミリのビデオデッキ2台を購入した。当時、1台20万〜30万円した。

デッキ(1)は、映像を送り出すだけなので、再生機能があればよいが、
デッキ(2)は、後述するが、録画と当時にBGMやナレーションなどを録音できる、
編集機能がついていないといけないので、40万円ほどのものを購入した。

                           つづく


[No.6622] 私とビデオ7 投稿者:多摩のけん  投稿日:2014/07/26(Sat) 23:23
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>1.ビデオデッキ(1)で「素材映像」を送り出す。
>2.ビデオダッキ(2)で「素材映像」を録画する。

> ここで「編集」の作業が入る。

  1.と「再生」に、2.「録画」にして同時にスイッチ・オンにして、1.の映像で不要なところにきたら、同時に「一時停止」にし、
  1.だけを早送りして「不要」な画面をパスする。

  必要な画面がくると、2を動かして「録画」する。

原理的にはこのような作業の繰り返しであるが、このような複雑なことは1人ではとてもやっていけない。

そこで「コントローラー」という、機械を使う。
これは、1.の再生、早送り、2.の録画が手元でできる便利な機械であった。
値段は10万円くらいだったと思う。

このようにして、タイトルやテロップを入れる「タイトラー」、色調を補正する「カラーコレクター」、
ナレーション用のマイクなど揃えていって、深みにはまっていくことになる。

                                    つづく


[No.6623] 私とビデオ8 投稿者:多摩のけん  投稿日:2014/07/27(Sun) 02:20
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地元のビデオクラブに入って、12月の例会で宿題が出た。
「年賀ビデオの制作・1月例会で発表」

この時、初めてテーマに沿って撮影し、作品を作ることを知った。
私は、正月の「初詣で」を、近くの谷保天神に撮りに行ったと思うが、
何しろ昔のことで、記憶は定かでない。

この例会では、もう一つ「収穫」があった。
私の住むT市では、クリスマス前後に「太陽が富士山の頂上に落日する」
いわゆる「ダイアモンド富士」が観測できるので、みんなで撮りに行こう、
ということになったのである。

当日は、みんなで多摩川の土手に三脚を立て、カメラの砲列を作ったことを覚えている。
太陽が、富士山頂に沈むまでは明るく暖かいが、沈んが後は急速に冷え込み、
それでも、西に出ていた雲が茜色の染まっている風景を撮り続けた。

                                   つづく


[No.6625] 私とビデオ9 投稿者:多摩のけん  投稿日:2014/07/27(Sun) 19:58
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その頃、T市に全国のさきがけとなった「女性総合センター」が作られ、そのことを市民に広報するため、ビデオ制作をビデオクラブが市から委託された。

ビデオの内容は、センターの所在地、設備の実態、利用するための手続きなどで、市の担当者に連れられて、各部屋を見て回った。
注意しなければならないことは、「見落とし(撮影モレ)がないこと」であった。

何しろ5階建てのビル丸ごとで、大ホール、小ホール、和室、会議室、料理室、食堂、
託児室、それにトイレの多いこと!  とにかく盛り沢山のビルで、後日談だが、全国から多数の女性視察団体が来たようです。

本題に戻るが、みんなで同じ映像を撮ってもムダになるので、2人1組で数組作り、分担して撮影することになった。初の共同制作である。

最後に撮影したテープを持ち寄ってクラブの会長、副会長が編集することになったが、
どうしても自分が撮った映像を優先して採用する傾向になり、共同制作の難しさがわかった。

市から制作費が出たが、かなりの金額だったと思う。

                              つづく


[No.6627] 私とビデオ10 投稿者:多摩のけん  投稿日:2014/07/27(Sun) 20:48
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前述したが、当時のビデオ・テープは「Hi-8」と呼ばれるアナログテープであった。
そのため、ダビングすると画質が劣化するのである。

当時は、紙のコピーもそうであった。
原稿に写真があると、1回目のコピーでは写真はホドホドに見られるが
それをコピーすると中間色はほとんどなくなり、3回目は「白と黒」になってしまう。
顔写真など、「お化け」のようになってしまった。

ビデオの場合は、オリジナルの映像を取り敢えず粗編集して、次に細かいところに気を使って編集するが、これが出来上がった段階では、「2回目のダビング」になってしまう。

クラブの映写会などでは、この段階のものを放映するので、何とか観賞に耐えられるが、第3者に渡す場合は、「8ミリ規格」ではなく一般に普及していた「HVS」にもう1度ダビングしなければならない。

そうすると、「赤」がにじんで白いYシャツなどピンクに染まったような映像になり、
本当に困ったことを覚えている。

素人にビデオの細かいことを説明しても理解してもらえないし、単なる弁解としか受取ってもらえないことが多かったのである。

最近はダビングしても全く劣化しないので、TVの映画などをコピーすると著作権問題が起こるが、当時はその心配はなかった。

                                    つづく