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[No.27]
羽生の鍛冶屋さんから新たな投稿が
投稿者:
投稿日:2012/01/07(Sat) 07:38
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本田 裕 様から、新設された
「実録・個人の昭和史II(戦後復興期から高度経済成長期)」へ
投稿を頂戴しました。
ぜひ、お読みください。
そして、皆様も、ぜひ「実録・個人の昭和史II」へ
当時の体験をお寄せ下さい。
・高度成長期のサラリーマンライフ
・「マイホーム獲得作戦」
・新幹線・高速道路の開通
などなど、当時の様子を書いてくださいませ。
また、当時のことを記した自分史などがございましたら、お知らせください。
お待ちしています。
[No.26]
新たなジャンル「戦後復興期」を追加しました。
投稿者:
投稿日:2011/12/20(Tue) 07:55
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1. 趣旨
「メロウ倶楽部」の「体験・記録のデータベース」は従来
「大正の時代」「実録・個人の昭和史」の2つに分かれていましたが
この「実録・個人の昭和史」を、さらに下記2つに分けました。
・「実録・個人の昭和史I(戦前・戦中・戦後直後)」
・「実録・個人の昭和史II(戦後復興期から高度経済成長期)」
あらたに「戦後復興期」をとりあげる趣旨は、
・一つには、メロウ伝承館スタートから、すでに8年が経ち、
たとえば「大正時代・昭和初期をご存じの方」が少なくなってきたこと。
・「ALWAYS 三丁目の夕日'64」に代表されるように「東京オリンピック」「新幹線開通」
の時代がすでに「歴史」となっていること。
・ そして、もっとも大切な事は「今回の大震災で壊滅的な被害を受けた私たちが
戦後の廃墟から立ち上がり復興を成し遂げたときの記録」は、
必ずや、被災者の皆様を勇気づけ、また、実際にお役に立つ面もあると思うからです。
2. ぜひ、みなさま、お書きください。
65才以上の方でしたら、下記のような体験をお持ちと思います。
お若い方は、ご両親・おじいさま・おばあさまに当時のことを伺ってみてください。
・「住」について、戦後の廃墟跡のバラックから脱出して
「六・四半・トイレ共同の◯◯荘」へ、
「モーター水道・プロパンガス・道路舗装なし」の建売住宅へと
定住先を探し求めていた時代。
「公団住宅の抽選結果を待った日々」も。
・「衣」についても、焼け出され・引揚げてきて着の身着のまま、
僅かな衣類は食料と交換されてしまった、
それでも、知恵を絞って寒い冬を乗り切った時期。
そんななかでも、お洒落がしたくて「電髪パーマ」「ナイロンストッキング」
になけなしのお小遣いを費やした日々。
「洋裁」を習って自分で服を縫った日々。
・「食」についても、昭和30年代終わりには、
何とかひもじい思いだけはしなくて済むようになりましたね。
それまでの「食の工夫」を教えて下さい。
・教育制度もかりました。「新制中学」「男女共学」はいかがでしたか。
・お勤め先はどうでしたか。お仕事面でのご苦労・ご活躍の様子もぜひ伺いたいです。
・ご家庭ではどんなふうでしたか。(たとえば「長男の嫁の仕事」など)
・余暇はどんなふうにお過ごしになりましたか。(映画ですか)
3. 投稿の仕方について
「メロウ伝承館」は「喫茶室」など他の一般のお部屋とはちょっと違う面があります。
直接、投稿することもできますが(この場合、事前に登録が必要です)、
難しい場合には、伝承館スタッフ宛てに投稿内容をメールでお送りください。
(kousei@s40.xrea.com)
(投稿内容は、そのままメールに貼りつけても、
ワードなどで書かれたものを添付していただいてもどちらでも結構です)
当時の写真もお待ちしています。メール貼付でお送りください。
4.今後の改訂にさいて
「メロウ伝承館」を更に使いやすくするための改訂
(トップページの全面改装、用語の改訂など)につきましても、目下準備中です。
しばらくお待ち下さい。
新しい「実録・個人の昭和史II」をどうぞ、よろしくお願い申し上げます。
[No.25]
後編始まる・「特攻インタビュー」
投稿者:
投稿日:2011/12/12(Mon) 07:50
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今日のところから「後編」になります。
いよいよ「特攻として出撃」する前村航法士はーーー
出撃する1時間か1時間半前には、ピストの前にご馳走が一杯並んでいましてね。それこそ食べたこともないようなカマボコだとか刺身だとかが、きれいに並んでいるんだけど(笑)、やっぱり駄目ですよ、食えないですよ。死ぬんだと思うとね。
しかし、前村さんは「隊長機の航法は責任重大だったので、果たして未熟な私の腕で大丈夫なのかという不安が大きかったです」と
初陣でちゃんと任務が果たせるかどうかで頭がいっぱいでいらっしゃったようです。
ーーーなお、前編は、ハイテクとは程遠い、当時の戦闘機の操縦等に関するお話で
こちらも、興味深い内容です。
前編・後編とも、ぜひお読みください。
[No.24]
「特攻」から「特攻インタビュー」を
投稿者:
投稿日:2011/11/30(Wed) 08:50
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引き続き「特攻」より上記を連載いたします。
このシリーズは、特攻体験をお持ちの方、九死に一生を得られた方などの体験談を
インタビュー形式で記事にしたものです。
お読みいただき 当時のいろいろな「事情」や、ご本人の正直なお気持ちなども含めて
「特攻」というものを少しでもご理解いただければ幸いです。
[No.23]
「特攻」から「私の戦争体験記」を
投稿者:
投稿日:2011/11/27(Sun) 08:39
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以前にも転載させて頂きました「特攻」から、元陸軍戦闘機パイロットの 谷口正範様の
記録の掲載を開始させて頂きました。
「隼」の戦闘技術を2年に亘って習得され「疾風」を操縦しておられた戦闘機乗りの方のお話です。
元特攻隊員の方はどんどん高齢化しておられます。
この方々の記録も少しでも多くの方々に読んでいただきたいと考えております。
どなたかもおっしゃつておられましたように
「現代はインターネットで様々な情報があふれていますが、
本当に必要な情報、貴重な情報というのは、非常に少ない」です。
そして、恐ろしい勢いで消えていきます。
みなさまのお手許に、残して置かなければならない資料がありましたら
ぜひ、お知らせ下さいませ。
よろしくお願い申し上げます。
[No.22]
Re: 続 表参道が燃えた日 (抜粋) 付録9
投稿者:
投稿日:2011/10/25(Tue) 07:19
[関連記事] URL:http://こういうことも、あったのですね |
Kenza さん
> 「世界の無差別爆撃による死者数(概算)を示すと、
>
> 一九三七年四月 ドイツ軍によるスペイン・ゲルニカ空爆
> 一九三八年二月〜四三年八月 日本軍による中国・重慶空爆
> 一九四〇年九月〜十一月 ドイツ軍によるイギリス・ロンドン空爆
> 一九四五年二月 米英軍によるドイツ・ドレスデン空爆」
>
> に、死者数(概算)が入っていませんね。
ありがとうございました。
よくぞ、気がついて下さいました。
そこまで、読んでくださっている方がおられることに励まされます。
[No.21]
続 表参道が燃えた日 (抜粋) 付録9
投稿者:
投稿日:2011/10/24(Mon) 10:06
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「世界の無差別爆撃による死者数(概算)を示すと、
一九三七年四月 ドイツ軍によるスペイン・ゲルニカ空爆
一九三八年二月〜四三年八月 日本軍による中国・重慶空爆
一九四〇年九月〜十一月 ドイツ軍によるイギリス・ロンドン空爆
一九四五年二月 米英軍によるドイツ・ドレスデン空爆」
に、死者数(概算)が入っていませんね。
[No.20]
こういうことも、あったのですね
投稿者:
投稿日:2011/08/12(Fri) 08:21
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今日、掲載させていただいたなかに、こんなことが書かれています。
******************************
捕虜のオーストラリア兵も流れて来る
彼等は救命胴衣は着けて居ない
手を差し伸べてくるのを助け上げてやる。
後から来た日本兵が上がれずにおこる、ゴボー剣で刺せと云うものも居る、
面と向かった彼等を殺すことも出来ず、
彼等は一かたまりになって浮かんで居る。
元気付けの為に停虜連は歌を歌い始める、
我々は今や原隊を離れた烏合の衆でそれを感心して聞いて居る。
******************************
竹山道雄氏の「ビルマの竪琴」の、オーストラリア版のようですね。
どんな歌を歌ったのでしょうか。
しかし、救助されたのは、ほんの一部で、
大部分の捕虜は救命胴衣を与えられずに
地下の船艙に居て犠牲になりました。
[No.19]
輸送船勝鬨丸の最後
投稿者:
投稿日:2011/08/11(Thu) 08:26
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この記録は、高崎 廣様のご家族のご承諾を得て転載させていただくものです。
「勝鬨丸」は、
1920年 米国で進水、
1924年 西回り世界一周航路に就航 するなど栄光の日々を過ごしたあと
1941年 日本軍に拿捕された
1942年 上海で日本郵船に貸下
1944年 9月:海南島東方海域の南シナ海で米潜水艦パンパニトによって
撃沈され、連合国捕虜431人を含む500人近い犠牲者を出し
とその歴史を閉じました。
「敵国アメリカ」から拿捕した船であり、アメリカによって轟沈された、
しかも、轟沈によって多数の連合軍側の捕虜を道連れにしてしまった
ーーーという「日米戦争」そのもののような船です。
終戦から66年、その時代に生きた人間も、戦争に翻弄されましたが
「船」だって、やはりこんな運命をたどったのですね。
轟沈させられたときに、この船に乗っておられた高崎様の臨場感あふれる貴重な記録です。
どうぞ、お読みください。
[No.17]
Re: 羽生の鍛冶屋さん、なんとか続きをお願いします!
投稿者:はなちゃん
投稿日:2011/06/21(Tue) 10:33
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> 「戦後史の部屋」開設を心待ちにしてます。この企画のお陰で、投稿者および読者の
> 幅がぐんと拡がるものと期待しております。
皆様のを楽しみにしています
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