安本末子:にあんちゃん、光文社カッパブックス(昭和34年)
1959年公開の映画「にあんちゃん」は、おそらく見ていない。
母が亡くなり、そして父も死んでしまって 四人の子どもたちが残された。 長男は東石(喜一)、長女は良子、次男(にあんちゃん)は高一(たかいち)、そして主人公の末子。
この本の前書きで、長男が結核で倒れ、病床で五年前に書かれた末子の日記を読んで感動し、ぜひ出版をと光文社に原稿を送ったことが書かれてある。
(末子小3の三学期から) 1月22日木よう日 はれ 「きょうはお父さんがなくなった日から、四十九日目です。にんげんはしんでも、 四十九日は家の中にたましいがおると、福田のおばあさんが、そうしきのときに いわれたので、いままでまい朝、まいばん、ごはんをあげていましたが、きょうの 朝はとくべつにいろいろおそなえをしています。
たんたんと書かれた日記だが、これが小学生三年生の少女が書いたとは..... そのころ書くことの嫌いだった私には真似のできない文章である。 あのころは日本全体が貧しかった。そして、九州の炭鉱の在日の生活なら一層きびしいものであったろう。
救いは、この少女も二番目の兄(にあんちゃん)も学校の成績が良く、子どもながらに未来を信じていたことである。 この日記の終わりは「今は、みんなでくろうをしているけれど、きっと私たち兄妹四人の上にも、明るいともしびが、いつかひかると信じています」と結んでいる。
この本はたちまちベストセラーとなり、「裕福ということの意味が初めて分かりました」といったという。
佐賀を出て神戸に兄弟は移った。中学時代の彼女について担任は「学習態度も 生活態度も立派の一語で申し分ありません」と書いている。 早稲田大学文学部を昭和41年に卒業した。
一時は有名になったが、結婚してからひっそりと暮らしている著者に、熱心に会いたがった在日の女性がいた。 成美子:在日二世の母から在日三世の娘へ この本の中で、成美子はわざわざ、その後の末子を探して会いに行っている。 詳しくは上記の本をどうぞ。 http://mllwclb.b18.coreserver.jp/cgi-bin/bbs/danwasitu/wforum.cgi?no=38420&reno=38382&oya=38382&mode=msgview 逆に言えば、私はこの 成美子の本を読んで、「にあんちゃん」を読む気になったのでした。
著者の母校も彼女の価値をHPに残している。 http://www2.saga-ed.jp/school/irino-es/nian/nian-jr.html
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