ここには 人間とマンボウ 「マンボウぼうえんきょう」より マンボウすくらっぷ などが入っている。
三島由紀夫の思い出 奥野健男の「太宰治論」の出版記念会に出た後の二次会に向かうタクシーの中で 著者は三島と奥野と同席した。 著者は若かったから 「仮面の告白」に てふど と書かれているが、あれはやはり ちやうど でしょう と言ったという。 それだけならいいのに、酔いにまかせて 少しは辞書をひいてください とまで言ったという。 三島は「しかし君、江戸時代の謡曲やなんかに、てふどとちゃんと出ているよ」と切り返した。
あとで、三島は奥野に「ああいう失礼な男とぼくを会わさんでくれ」と声を荒げて言ったという。
そのあと仲直りをして 楡家の人びとの連載のときに三島からハガキが届く。 「桃子という少女は、何という可愛い、魅力のある少女でせう。小生はこの子が可愛くてたまらず、どうか彼女が将来不幸にならぬやうにと祈らずにはゐられない」
******
著者の松本高校時代は、よい先生も多かったが、それが当然のように、先生のお宅に遊びにゆき、飯まで食べさせてもらった。むかしの高校の特徴とはいえ、学生の甘えもずいぶんあったと思う。
著者は自分もそういう経験があるので、自分が大人になってからも、はじめ、学生の人たちの頼みをできるだけ聞くようにしていた。 ところが、これが無責任もはなはだしいのである。
早慶戦の特集をやるから、対談をやってくれと学生から頼まれた。対談者も頼んでくれというのである。著者は、それほど親しくもないが、自分と同年配の某作家に頼み、氏も快く応じてくれた。
しかし、その対談の載った新聞はついに送られてこなかった。著者はその作家にも悪いような気がして困った。著者は、相手が学生というので、時間の都合をつけ、他の仕事を断ったりして応じているのである。あまりといえば「あとは野となれ」ではないか。
こういう例はいくらでもある。著者の出た大学の記念祭をやるというので、趣意書に一文を、と頼まれたことが何回かある。著者は原稿を送った。その半数があとはナシのつぶてであった。(仙台の旧帝国大学の学生にしてこれでは.....)
あまりひんぴんとこうした不愉快を体験したので、もう学生といっても特別あつかいをしなくなった。むしろ学生というとイヤな気さえするようになった。
著者がいくらかの旅をしているというので、どこどこの自動車探検旅行をしたいから隊長になってくれ、という依頼もある。聞いてみるとなんら具体的な案もできていない。 要するに他人のフンドシで相撲をとろうというのである。
******
手塚マンガでは「鉄腕アトム」がもっとも有名だが、著者は「ジャングル大帝」のほうをとる。 これには詩情があり、夢があり、ヴィルドウングスロマンのおもかげすらある。 仔ライオンのレオがアフリカにむかって海を泳いでゆく。 すると頭上をマダラチョウの大群が海を渡ってゆく。あれは小学生全集の「虫の世界」の挿絵だったろうか。
白土三平はこれまた自分の好みをおしすすめる人で、その戦闘場面の画風は子供には陰惨すぎるという人もいようが、著者は好きである。忍術ものとして独自の風格がある。 同じく横山光輝の「伊賀の影丸」はたしかにおもしろい。
寺田ヒロオは善意のマンガを描くが、「ゼロ君」ものよりも、著者は「スポーツマン佐助」などを愉しんだ。「暗闇八段」など柔道ものもよい。 石森章太郎もなかなかセンスのある線を描き、SFものなどで活躍しているが、惜しむらくは代表作に乏しい。
近ごろもっとも人気のあるのは赤塚不二夫の「おそ松くん」で、はじめ著者は実にくだらんと思っていたが、今では愛読者となってしまった。 「シェー」をやるイヤミ先生は代表人物であるが、「ホエホエ」というデカパン、旗を立てているハタ坊、オデン好きのチビ太など、副人物がかえっていい。これらは反復によっておもしろくなるのであり、一つのユーモア技法の典型である。
忘れていたが、「ユカを呼ぶ海」というかなり上出来の少女マンガがあった。著者の娘の名、由香はそこからとったのである。(著者は書いていないが、このマンガの作者は ちばてつや です)
|