字面だけでなく、こういう、挿絵の豊富に入った本にはまた別の楽しみがある。
かれはフランスの著名な画家、ドーミエと比較されたほどの力量を持つ稀有な存在で、唐画を始め我が国諸流の絵画をすべて研究の対象としていたようだ。
所属していた狩野派が一時没落した時も暁斎だけは注文が減らず、つねに行列のできる絵師でありつづけたようだ。慶応4年うまれの暁斎は西洋の人体解剖図まで熱心に学んだ。
かれを尊敬したひとは、国内ばかりでなく外国にも多く、死の床で彼をみとったフォン・ベルツをはじめ、日本に数々の名建築を残した著名なジョサイア・コンドルは、暁斎の弟子になり、大森貝塚のモース、日本の紙幣印刷に大功労のあったイタリアの銅版画家キョッソーネなど多数に上る。
「通俗伊蘇普物語」の挿絵を描いているというので、蝉と蟻の絵を探したが、残念ながら上記の本には載っていなかった。
前の雅号が狂斎だったこともあり、かなりショッキングな絵もおおい。
強烈な風刺精神の発露でよく、おかみに睨まれブタ箱入りはしょっちゅうだったとか。この点でもドーミエに似ている。
パロディも得意で、暁斎漫画の鯰は、富士越の龍をパロッたもので、頭上に三味線をかついだネコまで乗せたところは、ニクイほど芸が細かい。
この図をみると、だれでもナマズが前方へ飛び出して来るような気がして思わず、引いてしまう。したがって、当節の3Dをみるような気分にもなれる。
なお、暁斎は、キョウサイと読み、濁らない。
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