画像サイズ: 639×412 (26kB) | 『徒然草』 第52段.仁和寺にある法師
仁和(にんわ)寺に、ある法師(ほふし)、年寄るまで、石清水を拝(をが)まざりければ、心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、ただひとり、徒歩(かち)よりまうでけり。極楽寺・高良(かうら)などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。
さて、かたへの人にあひて、「年ごろ思ひつること、果し侍りぬ。聞きしにも過ぎて、尊くこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけん、ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意(ほい)なれと思ひて、山までは見ず」とぞ言ひける。
すこしのことにも、先達(せんだち)はあらまほしき事なり。
三木紀人氏による現代語訳
仁和寺(にんなじ)のある法師が、年をとるまで石清水を拝んだことがなかったので、それを残念に思って、ある時、思い立って、ただひとり、徒歩で参詣した。ところが彼は、極楽寺や高良(こうら)社などを拝んで、これで願いがかなったと思い込んで帰ってしまった。
そして、仲間に向かって、「長年思っていたことを、ようやく果たしました。評判以上に尊いお宮でした。それにしても、あの時に、参拝の人たちが皆、山に登って行きましたが、山の上に何事があったのか。気にはなったけれど、神へ参るのが目的なのだと思って、私は山の上までは見物しませんでした」と言ったそうだ。
少しのことにも、案内者は持ちたいものである。 非常に有名な段であるが、兼好の時代の「石清水八幡宮寺」は現在の「石清水八幡宮」より遙かに壮麗で、山下の極楽寺・高良社も相当に立派だったことを考慮しないと、この僧侶が勘違いした事情、またその勘違いについて当時の人が感じたであろう滑稽さが充分に理解できないように思われる。 http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/genbun-ture-52-iwashimizu.htm
ライン川を渡って ドイツからフランスのエルザス地方のコルマーに行った。
帰ってからパンフレットを読むと 幼いシュヴァィツァーが訪れた町の広場のことが書かれてあった。
コルマーには、かつて修道院であったウンターリンデン博物館に 有名なグリューネワルトの「イーゼンハイムの祭壇画」がある。 これを見に行ったものだった。 この博物館の宗教画やキリスト教関係の彫刻は、フライブルクにあるものと同じだった。
あのアルベルト・シュヴァイツァーが子どものとき、コルマーの町の広場で見た 黒人の彫刻。日本のシュヴァイツァーの伝記の本には必ず写真が載っているのだが この彫刻は今はない。 子どものシュヴァイツァーがこの悲しげな黒人像を見て、大きくなったらアフリカに行って 現地の人びとを助けてやろうと決心した広場。 この黒人像は、この町の出身のフランスの将軍を讃えるため、やはりこの町の出身の彫刻家 バルトルディ (Bartholdi)に作らせたものである。 たぶん多くの日本人が訪ねていって、シュヴァイツァーのことを聞いたり、黒人の彫刻を 見たりするので、フランスの植民地のことにふれたくなかった現地の人が 考えた末に撤去したのであろうか。
最近読んだ本で、このバルトルディの作った像は第二次大戦の時ドイツ兵が壊したということを知った。 |