浅野智彦:趣味縁からはじまる社会参加
最近の若者の動向から社会の動きをさぐる という本だろうか。
やや難解な本だった。 著者のレベルに達していない私。
オタク的な趣味をもつ若者たちにも社会参加の入り口があるのだろうか。
最近は労働組合に入る若者も少なくなったという。 それはともかく、若者は狭い仲間集団の交友関係は大切にしても 組合とか公共的な組織などの連帯には興味がないのだろうか。
ある人々は親密な関係の濃密化が、若者の注意やエネルギーを独占してしまった結果 彼らを公共圏から撤退させてしまったと主張する。 たとえば「コミュニケーション不全症候群」とか「仲間以外はみな風景」といった言い方がそれだ。 彼らにとって親密性と公共性とは相反する関係に立っているのである。
この本の著者は 若者社会において 親密性と公共性を単に相反するものとみるのではなく かといって無関係なものとみるのでもなく 親密性と公共性の中間にある状態もあるのではないかと考えているようだ。 このような親密性と公共性の中間にあるものを、著者は趣味縁と呼んでいるようだ。
上野千鶴子がとりあげた例のように 仏像美術を鑑賞するサークルに所属する女性が同時に 地域の政治運動を牽引する熱心な活動家だったという例がある。 この女性はすでに若者ではないのだが、似たような構造が若者の趣味縁にもあるのではないかと この本の著者は考える。 そして、このように傾向は外国にもあり、たとえばノルウェーで 参加している結社の数が多い人ほど公共性に多く寄与している例をあげている。
というわけで、趣味でもオタクでもいいから、著者は 若者ができる範囲で公共的なものに参加することを期待しているようである。
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