いま読んでいる吉田健一のエッセーは、なんともつかみどころのない、変わった文体で書かれている。
このひとの、たとえば「英国について」などはまともな文体で、なんら抵抗なく読める。だが、この「随筆酒に飲まれた頭」は…。
もっとも、表題が表題だといわれれば一言もないが。
日本がまだ占領下にあったときと云うのは、なんとも得体のしれない人物がいたらしいのである。どこの国の大使か分からぬ人物の、モッポさんとの交友がつづられているが、筆を執ったのが、そのつきあいから大分年数がたっていたらしく、記憶も不確かなのか、その説明も曖昧模糊としている。
この人物については、紹介者の言を引用すると、国連の下部組織に出席するはずの日本人代表の、選考委員の一人というからかなりの実力者のような気もする。
また、モッポ氏の英語と云うのがいわく言い難い英語であるらしい。健一氏の筆を借りれば、『その訛りはまづイタリーに生まれて、まだ若い頃にフランスに流れて行ってパリで皿洗ひをやり、そこで溜めた金でロンドンの裏町でコーヒーの屋台店を始めて、店で馴染みになった船長の船に乗り込んでアメリカに渡ったという種類の、国際的性格のもの』で、健一さんは、康さんという、これまた怪しげな人物の、泣き落とし作戦に掛かってこのもう一人の怪人、モッポ氏に何度も会うようになる。
そういうことが、綿々とつづってあるのだが、読まされる方としては、およそそんな不確かなことは、じっさいに書く必要があったのかどうかと云う気がしてくる。
その後でてくる、酒を飲む話も、一体どこの、どの店が舞台なのか、分からぬうちに話の方は、読者なんぞにお構いなしに、どんどん進行してゆく。
健一氏とそのつれは、飲んでる最中絶好調で、おおいに気炎を上げるが、帰りも、無銭飲食よろしく、ルンルン気分で店を後にするのだ。しかし、それも実話なのか創作なのかその境目が、一向に分からない。
そのほか『ロッホネスの怪物』というのがあったので、こいつは面白そうだと思って読み始めたが、期待の怪物はあいにく休暇中なのか、最後まで読んでも、その片鱗すら見せなかった。
注意;この本は旧仮名遣いや、旧字体で書かれているので、読み通すには、それなりの覚悟がいる。(*^_^*)なお、この健一さんは、蛇足ながら、あの吉田茂さんの息子である。
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