鈴木晋一:東海道たべもの五十三次
平凡社の本 1991年
「小田原名産は 外郎と塩辛」 外郎、梅漬、イカの塩辛、カツオのたたき、提灯 「ヲヤ餅かとおもったら くすりみせだな」 「膝栗毛」の喜多八が言っているように菓子ではなく薬だった。 外郎は俗称で、正しくは透頂香(とうちんこう)といった。 中国元が滅びた時、礼部員外郎の地位にあった陳氏が博多に亡命してきた。 薬方に詳しかったので足利義満が上洛を求め、陳氏の子の代になり京都へ移住した。
以後代々医を業として外郎家と呼ばれ、透頂香などの薬をつくり室町幕府に献上するようになった。 陳家が北条氏綱に献上してから、透頂香は小田原名物となった。
「小吉田の鮨と安倍川餅」 江尻から駿府までの道中のまんなかあたりに、小吉田の立場があった。 JR草薙駅のすこし西にあたる。 「小吉田の立場にいたれば酒家あり。小さき桶に鮨をつけてひさぐ。長門鮨という。味よろし」 太田南畝のほめた鮨があった。 駿府を出てから安倍川がある。 この川の東川端では安倍川餅を名物にしていた。 現在の名物安倍川餅は、黄粉をまぶしたのと小豆のこし餡をつけたのとの二種類を盛り合わせにしているが 一般には餅に黄粉をつけたものを安倍川餅、略して安倍川と呼んでいる。
「日阪の蕨餅」 この蕨餅は古くから有名で、連歌師宗牧は天文13(1570)年に食べ、その著「東国紀行」に、先年来た時も賞味したことを思い出して書いている。 林羅山は、蕨餅は実は葛の粉をまぜて蒸し餅にし、黄粉に塩を加えたものをかけて旅人に食べさせている。みんなそれに気がつかないと書いている。 蕨の根からとるより葛の根からとったほうが多くの粉がとれるから? 葛はいまは片栗粉で代用している。片栗粉もカタクリの根からとるのが本来なのだが、これまたジャガイモ澱粉からつくられているのが現代の食材なのだ。
「桑名の焼蛤」 「その手はくわなの焼蛤」というくらい知名度は抜群だった。 味も多くの人のほめられている。 蛤を約のに松ぽっくりを使うと「東海道名所図絵」に書かれてあるが、「本朝食鑑」にもそれがいちばんうまいのだと書かれている。
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