> > > なだいなだ:人間、とりあえず主義
ノーマン・フィンケルシュタインの「ホロコースト・インダストリー」を読む。 この本の著者もアウシュヴィッツ生き残りを両親にもつユダヤ系アメリカ人である。
この本のテーマは、ナチスによって行われたホロコーストがイスラエルという国家を弁護するために用いられている大文字のホロコーストに、いかにすりかえられていったかの検証である。
ユダヤ人は確かにドイツで史上まれに見る迫害を受けた。それはまぎれもない事実だが、だからといって、かれらはそれによって特別な民族になり、すべてが許されるようになったわけではない。
しかし、現実のイスラエルはどうか。世界のあちこちで似たような状況が怒れば、非人道的だ、人類に対する犯罪だと、国際的な非難を浴びそうなことをしている。
だが、イスラエルは、他の民族がやるなら咎められるべきだが、自分たちは特別なのだ、と主張する。そしてやめようとしない。 それは 「イスラエルの場合は特別なのだ。なにをやっても許されるのだ。なぜなら自分たちはホロコーストの犠牲者だから」 という主張に国際世論が沈黙させられてしまうからである。
このようにイスラエルの行動の弁護の道具になったのが大文字のホロコーストであり、その運動の中で大きな役割を果たしたのがエリー・ウイーゼルだ。 このノーベル平和賞受賞者は、世界のあらゆるところに顔を出し、イスラエルを批判する人間に反ユダヤ主義のレッテルを貼り、イスラエル批判を封じ手歩いている。日本でもなんでこの人がと思われる人物が、かれに反ユダヤ主義者のレッテルを貼られた。
なだいなだも、この本を紹介することで、反ユダヤのレッテルを貼られる日も遠くないだろうとなだ本人が書く。
アメリカ在住のユダヤ人社会の、このホロコーストのイデオロギー化、あるいは宗教化、そして賠償請求によるビジネス化を、フィンケルシュタインは「ホロコースト・インダストリー」だという。
この運動あるいはビジネスは、1967年の中東戦争以後の、和平の先行きが不透明になった時代に生まれた。
そしてこれこそが、中東和平の障害物になっているのだ。
こんな人物がノーベル賞受賞者とは。いいんですか。みなさんはどう思いますか。
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