手塚真:天才の息子
著者は手塚治虫の長男で、漫画家岡野玲子の夫。
手塚治虫はデッサンに自信がなかったのか よく漫画を志す人にはデッサンをするよう勧めていた。
息子の立場でいえば 父の絵は写実的でないのは、ひとつには現実を誇張して描いているからなのであり もうひとつの理由は そこに時間が表現されているからだと息子は分析する。
つまり人間が動く、その動きそのものを一枚の静止した絵で表現するからである。 そういうわけで その人の身体の動きに添った形で歪んでいるのである。 写実性は失われるが、読者はそこに生き生きとした動きを感じることことができる。
動画を静止画の中に描いているからなのである。
手塚治虫は記憶力が良くても、物忘れは頻繁だった。 忙しいからである。 その典型的な事件は、弟子の石ノ森章太郎の結婚式をすっぽかしたことだろう。
手塚治虫は機械音痴であった。新しい機械をよく買うが操作はできず家族が代わりに操作してあげたという。 駅の自販機の前でウロウロして切符も買えなかったそうである。 この息子がいうには、科学の本質を理解することと機会がいじれることとは全く別のことである。 それは正しい。理論と実践は別で両方できればすばらしいが、どちらかでもできればたいしたものなのだ。
著者が母から手塚治虫の癌を知らされたのは、父が亡くなる半年前だったという。 もはや手遅れで手術をしても体を傷つけるだけなので手術を受けなかった。 心残りは、婚約者を会わせられなかったこと。 手塚治虫がベッドの上の姿を息子の嫁に見せたくなかったらしい。入院中の人をむやみに見舞いに行くのも考えものであろう。
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