清水義範の イッキによめる! 学校よりおもしろい 社会
一時間目 社会科のおもしろさって何? 二時間目 米はどこから来たのか? 三時間目 邪馬台国はどこにあったの何? 四時間目 道はどうしてあるのか? 五時間目 山があると何がおこるか? 六時間目 ユートピアはどこにもないの?
人間は社会を作って生きていて、そのおかげでほかの動物よりは栄えている。 だから、その社会のことを知っておこう、というのが社会科なんだ。 社会科はけっして面倒な教科じゃないんだ。生活がどうしてこうなっているのか、たとえば日本人はなぜ家の中では靴をぬぐのかなんては、すごく身近で、おもしろい疑問じゃないか。 そういう身近なことから、世界中のことまで、そして今のことから、昔のことまで知っていこうという、おもしろい生活探検、みたいなことが、実は社会科で学ぶことなんだ。
社会科は、地理と歴史と公民ということになるが、バラバラに勉強しても全体で何を勉強しているかははっきりしないようだ。 この本は小学生を相手に、彼らがわかる言葉でゆっくり説明している。
邪馬台国はどこ? 三世紀の中国の歴史書「魏志倭人伝」によると そのまま読めば 対馬国、壱岐国を渡り末廬国(佐賀県唐津市)にいたり、末廬国から そう遠くない伊都国、奴国、投馬(つま)国へ着く。 投馬国から南へ船で十日行って、陸を一か月行けば邪馬台国に着くと書いてある。
それでは邪馬台国は沖縄のほうになる。 それではあんまりだとというわけで、南ではなく東に行くとしたら 近畿地方に邪馬台国があることになる。 (魏の役人が、東へと書くべきところを誤って、南へと書いた。そう推定すると邪馬台国は近畿にあるというのが内藤湖南をはじめとする京都学派。内藤湖南は南部藩士の出なのだ)
いっぽう、九州にしたいほうは 南へ船で十日行って、陸を一か月行くというところを 船なら十日、陸路を通れば一か月と読んでしまう。 こうして邪馬台国九州説ができる。九州説は白鳥庫吉以下の東大学派だ。
どっちにしろ、魏の役人はいい加減に書いたのではないか。 当時の計測は正確でなかったろうし、もしかしたら 邪馬台国まで来ないで、朝鮮半島のどこかに泊まって 住民の話を聞いて適当にまとめて報告書をつくったのかもしれない。 現代の学者が古文書の一字一句を正確なものだとして判断することこそ危険な感じがするのだが。 デジタルではなくアバウトなアナログで対応したい。
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