井上一馬:「若草物語」への旅
「若草物語」は、ルイザ・メイ・オルコット(1832年 - 1888年)によって書かれた自伝的小説である。
この本の著者の井上は なぜ、この「若草物語」に父親不在なのか疑問に持った。 物語の中では、父親は南北戦争に従軍しているから 家族と一緒ではないということになっているが 実際には南北戦争のときには父親は六十歳なので、とても戦争に行くはずがないのである。
ルイザは父ブロンソンと母アビゲイル(アバ)の間の四姉妹の次女である。 父はラルフ・ウォード・エマーソンの影響を受けた理想主義者(超越主義者)だった。 理想の教育をしようと進歩的な教育を試みるが、急進すぎて父兄たちから相手にされなくなった。 教育者の地位を失い一家は貧しかった。父はさらに「新しい村」の運動にもかかわったが、これも失敗して一家は再びコンコードに戻る。 母の苦労を見て育ったルイザはのちに「若草物語」を書き、それがベストセラーとなり一家の暮らしが楽になる。
この本の著者の井上はだから推定する。 ルイザは理想的な父親は一家のリーダとしては不適切と思ったのだろう。 父の実体が「若草物語」に出てくれば、小説の印象は変わってしまう。 ルイザは父親をあまり評価していないかったようだが、母親はそんな父を尊敬して 貧しくても不平を言わず娘たちの世話をした。
「若草物語」が評判になると、父は主人公ジョーは年下のローリーと結婚すべきだと言った。 しかし、ルイザは続編で、ジョーを年上のドイツ出身のベア先生と結婚させた。 ベア先生こそは理想主義者で父親がモデルとみられる。 年をとるにつれルイザは父親の真価を認めるようになったのだろう、と著者の井上はまとめている。
ラルフ・ウォード・エマーソンの超越主義はホイットマンに影響を与えた。 エマーソンの思想に心を揺さぶられたのが北村透谷であった。 透谷のエマーソン論を読んで、エマーソンから影響を受けた武者小路実篤は「新しき村」の運動へと向かった。
日本でもう一人、ホイットマンを通じてエマーソンの影響を強く受けたのが、有島武郎であった。
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