> エハン・デラヴィ:外国人が見た東日本大震災、武田ランダムハウスジャパン(2011.6)
著者はスコットランド人 1985年頃に家族で京都にいたとき火事にあい、家族は無事だったが全財産を失う。 それからカナダで暮らすが、東日本大震災で女川にボランティアで来日する。
彼は言う。化石燃料は限りがあるからこれからは原子力だろう。 だが福島原発で日本人の悪い癖が出るのではないか。それは人を責めること。 すぐに誰が責任者だとか誰を責めるべきだとか、そういう心はちょっと問題である。 生活がちょっと不便になるからといって電気をたくさん使っているにもかかわらず その根源である原発に反対するなんて。そこに感謝なんてものはまったくない。 (まあ、しかたがないのかもしれないと著者も述べている)
適度な放射能は体の免疫力を高める。(ガンの治療に放射線を当てる治療法もある)
人を洗脳させるくだらないテレビは捨てよ。
日本的な上から下へ伝えるピラミッドのシステムではよくならない。下まで行くのに時間がかかりすぎる。 (ではどうしたらいいというのか。自分でできることは自分でやれということなのだろうか)
いずれ、この著者は楽天的である。 日本人よ行動を起こせ。
> 産経新聞社:がれきの中で本当にあったこと、産経新聞出版(2011.6)
仕事に行ってそのまま行方不明になった夫 あるいは 自宅でおそらく逃げ遅れて津波の呑み込まれたであろう妻 などもう会えない家族のことを思う残された人々の悲しみ。
岩手県の普代村は死者ゼロ、行方不明1名にとどまった。 被害を食い止めたのは、かつて猛反対を受けながら和村幸得村長がつくった 高さ15.5メートルの防潮堤と水門。そして震災当日の消防士の献身的な行動。
普代村も明治29年と昭和8年の津波で合計439人の犠牲者を出した。 多額の費用は村には巨額の出費だったが、 和村村長は「明治29年の津波は高さ15メートルあった」という言い伝えに基づき譲らなかった。
水門のゲートの自動開閉装置が動かなかったので、消防士3人が手動スイッチでゲートを閉めた。
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