画像サイズ: 816×612 (55kB) | 昭和19年5月25日(木曜日)の太宰治を「津軽」に沿って、歩いてみましょう。 前日まで金木の実家に泊っており、25日になると木造の父親の生家に向かいます。 その日のうちに五能線で深浦にたどり着き、秋田屋に宿泊しています。
太宰治の「津軽 五 西海岸」からです。 「…、私は金木を出発して五所川原に着いたのは、午前十一時頃、五所川原駅で五能線に乗りかへ、十分経つか経たぬかのうちに、木造駅に着いた。ここは、まだ津軽平野の内である。私は、この町もちよつと見て置きたいと思つてゐたのだ。降りて見ると、古びた閑散な町である。 ...... ここは、私の父が生れた土地なのである。金木の私の家では代々、女ばかりで、たいてい婿養子を迎へてゐる。父はこの町のMといふ旧家の三男かであつたのを、私の家から迎へられて何代目かの当主になつたのである。
「つがる警察署」 <木造警察署> 太宰は木造駅で下車し、父親の実家を探します。木造駅から町へは駅前の道一本ですからわかりやすい町です。
「 …その日も、ひどくいい天気で、停車場からただまつすぐの一本街のコンクリート路の上には薄い春霞のやうなものが、もやもや煙つてゐて、ゴム底の靴で猫のやうに足音も無くのこのこ歩いてゐるうちに春の温気にあてられ、何だか頭がぼんやりして来て、木造警察署の看板を、木造警察署と読んで、なるほど木造の建築物、と首肯き、はつと気附いて苦笑したりなどした。…」。
木造警察署(もくぞうけいさつしょ)→木造警察署(きづくりけいさつしょ) いまは町村合併して 「つがる警察署」です。 「コモヒ」 <コモヒ> 太宰が「津軽」に書いている”コモヒ”は現在も残っていました。最初は何のことが分からなかったのですが、実際に見てみると直ぐに理解することが出来ました。要するに、雪避けですね、雪が積もっても買い物などが出来るように通路を屋根も横も全て覆ってしまう作り物のことだとわかりました。雁木とも同じようですが、雁木は屋根だけのこととおもいます。
「…木造は、また、コモヒの町である。コモヒといふのは、むかし銀座で午後の日差しが強くなれば、各商店がこぞつて店先に日よけの天幕を張つたらう、さうして、読者諸君は、その天幕の下を涼しさうな顔をして歩いたらう、さうして、これはまるで即席の長い廊下みたいだと思つたらう、つまり、あの長い廊下を、天幕なんかでなく、家々の軒を一間ほど前に延長させて頑丈に永久的に作つてあるのが、北国のコモヒだと思へば、たいして間違ひは無い。しかも之は、日ざしをよけるために作つたのではない。そんな、しやれたものではない。冬、雪が深く積つた時に、家と家との聯絡に便利なやうに、各々の軒をくつつけ、長い廊下を作つて置くのである。吹雪の時などには、風雪にさらされる恐れもなく、気楽に買ひ物に出掛けられるので、最も重宝だし、子供の遊び場としても東京の歩道のやうな危険はなし、雨の日もこの長い廊下は通行人にとつて大助かりだらうし、また、私のやうに、春の温気にまゐつた旅人も、ここへ飛び込むと、ひやりと涼しく、店に坐つてゐる人達からじろじろ見られるのは少し閉口だが、まあ、とにかく有難い廊下である。コモヒといふのは、小店の訛りであると一般に信じられてゐるやうだが、私は、隠瀬あるいは隠日《こもひ》とでもいふ漢字をあてはめたはうが、早わかりではなからうか、などと考へてひとりで悦にいつてゐる次第である。…」 http://www.tokyo-kurenaidan.com/dazai2-tsugaru4.htm
今年も「こもひ」を見に木造に行きたいものです。 |