明治天皇は日記をつけなかった。 天皇の気持ちを表しているのは歌だけなのだ。 その歌も、天皇の歌は、年始の歌や、梅の香の歌とか、天然の美を詠った歌で、 自分の喜びや悲しみなど気持ちを詠った歌はきわめて少ない。 (ヴィクトリア女王は毎日9人の子どもに手紙を書いて、日記もつけていた)
明治天皇は克己心がきわめて強かった。日本中を訪れた。 村人たちの出迎えに応え、村長をはじめ人々の歓迎を全身に受けて、 寝るのは何時も深夜だった。そして早朝に起きて次の日の忙しい 行事の準備をする。そういう生活を毎日続けた。決して逃げ出さなかった。
明治天皇は、刺身が嫌いだった。刺身以外は洋食でも何でも食べた。 ちばん好きなのはアイスクリームだった。花見も嫌いだった。 風呂が嫌いだった。夏は仕方なく風呂に入っていたが、あとはほとんど 入らなかったようだ。
明治天皇は電気が嫌いだった。若いとき火事にあって、前の宮殿が 焼けたことを覚えていて、なるべく電気は使わず、ロウソクを使っていた。 自動車も嫌いで、一度も乗らなかった。当時は自動車があったが、 他の人は乗っても、天皇は最後まで馬車を使っていた。
明治天皇は贅沢を嫌っていた。軍服は、継ぎを当てて着ていた。 服にお金はかけなかったが、フランス香水は大好きで三日に一瓶を 使った。
日清戦争のとき、大本営が広島に移ったので、兵士を激励するのが 自分の義務と思って明治天皇は広島に行った。天皇の泊まった家は、 ごく粗末なバラックで、装飾品は壁の安い時計だけだった。 もう少しきれいに部屋に移ったらしと言われても「いや、第一線の 軍人はもっとひどいところで我慢している」と断った。 侍従たちが「女性がひとりもいないからご不自由でしょう、東京から 呼んだらいかがですか」と言ったが、天皇は「前線の兵士には 妻はついていない」と返事して終わった。夏の蚊帳も、天皇は 「第一線の兵士には蚊帳がないから自分も蚊帳はいらない」と言った。
明治天皇は15人の女性と関係があった。それは当時の習慣で 男の子どもを生むことが義務だったから。弱い大正天皇ともう一人の 次男がいたのだが、次男は亡くなってしまった。それを聞いても 天皇は「うん」としか言わなかった。皇后は素晴らしい女性で 皇后との関係は良好だったが、彼女は子供が産めないという ことがわかり、側室を回りから勧められたのだった。
ドナルド・キーン:明治天皇 http://book.asahi.com/bunko/TKY200712300106.html
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