東京音楽大学准教授 下道郁子 七大学をめぐる歌 第5回「都ぞ弥生」(前編)
北海道大学恵迪寮の寮歌「都ぞ弥生」
北海道大学の歴史は明治九年の札幌農学校にはじまる。 明治四十年に東北帝国大学農家大学となり、予科を設置した。
恵迪寮の名前は、予科が設置された明治四十年に 書経の「迪(みち)に恵(したが)えば吉(よ)し」からとった。
当時、第一高等学校、第三高等学校に既に名寮歌があったので 恵迪寮でも寮歌を持とうとする有志が集まり、寮歌の募集を行った。
こうして第一作「一帯ゆるき」が誕生した。 以後、毎年寮歌が作られ、「都ぞ弥生」は第六作となる。
「都ぞ弥生」は歌詞、曲ともに優れた名歌であり、この歌に憧れ魅せられて、 津軽海峡を渡ってきた北大生も多くいると言われる。
「都ぞ弥生」の作詞者は予科二年横山芳介で彼の遺稿ノートには推敲の過程が記録されている。 作曲者は予科三年生の赤木顕次だった。 若い二人は議論の末、現在の「都ぞ弥生」ができあがったという。
ヴァイオリンニストの同級生から、「このままではいけない、音楽学校へ送って直してもらった方がよい」と言われたが、赤木は「人が直すなら、絶対に発表しない」と応え、当時は「それほど自信満々であった」と回想している。
こんなに一生懸命つくったせいか、赤木も横山も揃って落第してしまう。
なお、当時寮歌の歌詞は教官だった有島武郎が添削するという習慣があったので 横山は有島に添削を仰いだところ 「直されたのは一箇所、漢字の間違いだけだよ」と友人に語ったという。
学士会会報 U7 volume 41 December 2011
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