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[No.697] マンボウ愛妻記 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/21(Wed) 16:53
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北杜夫:マンボウ愛妻記 (2001)

北 杜夫(1927年5月1日 - 2011年10月24日) 芥川賞作家、エッセイスト、精神科医、医学博士。

まえがきで著者は述べる。
結婚生活四十年になるが、妻は良妻だったか、悪妻だったか。
妻を悪妻と呼んでエッセイを書いていたら、妻から言われた。
「私、お友だちに言われたの。ご主人は、あなたの悪口を書いているのだから、モデル料いただかないとね。私に感謝してくださいね」

実際はモデル料どころか、禁治産者同様の著者は管理能力なしとして、原稿料はすべて妻が管理している。

あとがきで
著者は躁鬱病であることを隠さず書いている。
 彼がいうように、明るい鬱病というものを世に知らしめたので、日本社会に鬱病を認知させたという功績があるかもしれない。


[No.707] Re: マンボウ愛妻記 投稿者:   投稿日:2011/12/22(Thu) 18:30
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男爵さん

> 北 杜夫(1927年5月1日 - 2011年10月24日) 芥川賞作家、エッセイスト、精神科医、医学博士。

偶然ですが10月24日、大阪の本屋で「マンボウ家族航海記」(2011.10.15発行)を買って帰りの電車内でパラパラ見ながら帰宅したら著者の訃報に接したのです。
この本の解説を娘の斉藤由香さんが書いてますがその最後は、「明日も父を起こして散歩に行くが、あと何年、続けられるだろうか・・・。」で結ばれています

> まえがきで著者は述べる。
> 結婚生活四十年になるが、妻は良妻だったか、悪妻だったか。
> 妻を悪妻と呼んでエッセイを書いていたら、妻から言われた。
> 「私、お友だちに言われたの。ご主人は、あなたの悪口を書いているのだから、モデル料いただかないとね。私に感謝してくださいね」

由香さんによれば「母が父と離婚しなかったのは『ウチよりもっとひどい家がある』という言葉を心の支えにしたから」だそうです。
躁鬱病や株破産でドタバタ続きでしたが娘や孫のことをいっぱい書いてマンボウ一家の家族の絆は強いものだったと思います。
由香さんはわたしの娘と同い年なので、よけい親しみを感じています

        さんらく亭@甲子園


[No.708] Re: マンボウ愛妻記 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/22(Thu) 18:59
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さんらく亭さん

> > まえがきで著者は述べる。
> > 結婚生活四十年になるが、妻は良妻だったか、悪妻だったか。

> 由香さんによれば「母が父と離婚しなかったのは『ウチよりもっとひどい家がある』という言葉を心の支えにしたから」だそうです。
> 躁鬱病や株破産でドタバタ続きでしたが娘や孫のことをいっぱい書いてマンボウ一家の家族の絆は強いものだったと思います。

北杜夫は10歳下の妻との結婚にふみきったのは
醜くなかったと間接的にカワイかったことを述べているのと
父親の駐在員の関係で、ドイツに2年間暮らしてドイツ語が上手だったから
と書いています。

ドイツに憧れた北杜夫としては将来を見据えた選択だったのでしょう。

それは商業学校出身の古関裕而が
作曲家としての道をめざすとき
音楽学校出の妻を迎えて、将来の音楽家の道を着々と進むのと似ています。