内田純平:迷留辺荘主人あれやこれや
著者の父親内田勇三郎生誕百年記念の出版である。 内田勇三郎のつくった「内田クレペリン検査」は、現在も使われている心理検査(適性検査)である。
迷留辺荘とはメルヘン荘とよむ。 彼はまわりも家族も認める変人であった。
お金は汚れているとして、お金を消毒した脱脂綿で拭いていた。 (某作家の母親もピクニックにいったとき、消毒脱脂綿で手や食器を拭いたという) しかし、安くて美味しいものを食べることができた中華料理店の衛生的でないことには無頓着だった。
丸善から本を買って借金の取り立てに妻は悩まされた。 友人からも借金をしまくった。
彼は鞄をもたず、いつもリュックサックをかついでいた。 (両手のあくリュックサックは寒いときは両手をポケットに入れられる。自分で料理もするから食料品を買い込んで入れるのに便利)
彼は母親の臨終の席に立ち会わなかったという。いようと思えばいられることができたのに。 (あとで理由を聞かれたとき、愛する人の死の時にそばにいることはできないと答えた)
内田勇三郎学歴 大正5年(1916年) 第六高等学校(岡山)卒業 大正10年(1921年) 東京帝国大学文学部心理学科卒業 昭和37年(1962年) 文学博士(大阪大学) 職歴 大正14年(1925年) 第五高等学校(熊本)講師 昭和3年(1928年) 文部省体育研究所勤務、法政大学講師 昭和6年(1931年) 早稲田大学講師 昭和22年(1947年) 日本・精神技術研究所所長 昭和25年(1950年) 東京高等獣医学校教授
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