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 旅行記   2015.1.1更新

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  • [No.5871] 小泉八雲避暑の家 投稿者:男爵  投稿日:2018/10/11(Thu) 04:33
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    画像サイズ: 480×360 (45kB)
    小泉八雲避暑の家

     ラフカディオ・ハーンは明治23(1890)年に来日し、
    英語教師として松江中学に赴任し、地元の小泉節子と結婚、
    同29年日本に帰化して小泉八雲と名のった。

    同年帝国大学に招聘されて東京に移り、帝大や早稲田大学で
    英文学を講じた。

     東京へ移った翌年から,夏を焼津で過ごすようになり,
    その時身を寄せていたのが、この魚屋、山口乙吉の家である。

    八雲には「乙吉の達磨」という小説があり、中学校の教科書で読んだことがある。


    [No.5870] Re: 本郷喜之床 投稿者:男爵  投稿日:2018/10/09(Tue) 05:18
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    画像サイズ: 616×497 (38kB)
    > 本郷喜之床(きのとこ)

    > 東京は本郷で
    > 理髪店喜之床の二階二間に、啄木とその一家、母かつ、妻節子、長女京子が暮らしていた。


    こちらは
    現在もある (東京都文京区本郷の喜之床)新井理髪店
    元の建物は明治村に移転したというわけ。


    [No.5869] Re: 本郷喜之床 投稿者:男爵  投稿日:2018/10/09(Tue) 05:13
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    画像サイズ: 426×374 (26kB)
    > 本郷喜之床(きのとこ)

    > 東京は本郷で
    > 理髪店喜之床の二階二間に、啄木とその一家、母かつ、妻節子、長女京子が暮らしていた。

    金田一京助は死ぬまで啄木の世話をしたが
    野口雨情は札幌と小樽だけのつきあいだった。
      (北海道のあと 東京で会っていただろうか)


    [No.5868] 本郷喜之床 投稿者:男爵  投稿日:2018/10/09(Tue) 05:10
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    画像サイズ: 504×407 (49kB)
    本郷喜之床(きのとこ)

    東京は本郷で
    理髪店喜之床の二階二間に、啄木とその一家、母かつ、妻節子、長女京子が暮らしていた。

    この家で長男真一が生まれたが、間もなく夭折(ようせつ)した。

    啄木一家は、この家を出て小石川久堅町に引っ越しする。


    [No.5867] 宇治山田郵便局 投稿者:男爵  投稿日:2018/10/07(Sun) 05:20
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    画像サイズ: 512×384 (38kB)
    宇治山田郵便局

    明治42(1909)年、伊勢外宮前の角地にこの建物が新築された。

    木造平家建銅板萱で、中央には円錐ドームの屋根を頂き、両翼屋には寄棟の屋根をふせており、正面の左右には小ドームの載る角塔を立てている。


    [No.5866] 工部省品川硝子製造所 投稿者:男爵  投稿日:2018/10/05(Fri) 05:25
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    画像サイズ: 637×340 (73kB)
    工部省品川硝子(がらす)製造所です。

    明治6(1873)年
    イギリス人技術者を雇い入れて、品川興業社硝子製造所が開設された。

    同9年工部省がこの製造所を買い上げ官営とし、その後この建物等が建てられた。


    [No.5865] 鉄道寮新橋工場 投稿者:男爵  投稿日:2018/10/03(Wed) 04:53
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    画像サイズ: 509×361 (47kB)
    鉄道寮新橋工場です。

    明治5(1872)年に開業した新橋ステンション(停車場)に設置された。

    鋳鉄柱や外壁の鉄板などすべての材料をイギリスから輸入し
    イギリス人技術者の指導の下に建設された。


    [No.5864] Re: 六郷川鉄橋 投稿者:男爵  投稿日:2018/10/01(Mon) 08:21
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    画像サイズ: 417×401 (35kB)
    > >   六郷川鉄橋

    > > 錬鉄製トラス桁(ポニー・ワーレン型)である。

    部材と部材の接合する
    継手部分は興味深い。


    [No.5863] Re: 六郷川鉄橋 投稿者:男爵  投稿日:2018/10/01(Mon) 04:57
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    画像サイズ: 563×338 (56kB)
    >   六郷川鉄橋

    > 開通の後、複線化の計画と共に鉄橋への架け替えが進められ、明治10年11月、日本最初の複線用鉄橋として、この橋が完成した。

    > 錬鉄製トラス桁(ポニー・ワーレン型)である。

    鉄橋の上を歩いてはいけないと
    言われたことを思い出します。


    [No.5862] 六郷川鉄橋 投稿者:男爵  投稿日:2018/10/01(Mon) 04:54
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    画像サイズ: 566×328 (63kB)
      六郷川鉄橋

    明治5年、日本に初めて鉄道が開業されたとき、新橋横浜間に造られた大小22の橋はすべて木橋であった。

    開通の後、複線化の計画と共に鉄橋への架け替えが進められ、明治10年11月、日本最初の複線用鉄橋として、この橋が完成した。

    錬鉄製トラス桁(ポニー・ワーレン型)である。
    明治8(1875)年 英国リバプールのハミルトンズ・ウインザー・アイアンワークス社で製作され、輸入された。


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