音楽は心に潤いを与え、元気づけてくれます。
J−ポップ、ラテン、歌謡曲、クラシックなど好きな音楽について話しましょう。
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[No.438]
Re: リンゴと蜜柑
投稿者:男爵
投稿日:2012/03/19(Mon) 19:00
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さんらく亭 さん
> 海沼はリンゴの歌の次はミカンと考えていたのかもしれません。
> そして
> 「リンゴの唄」は実は
> 終戦後ではなく戦時中につくられた歌なのです。
「リンゴの唄」が戦前に作られた歌というのは
何かの本で読んだのですが....
とりあえず
ネットにあったのを見つけました。
http://www.ibcpub.co.jp/japanese_history/japanese092.html
> この「リンゴの唄」の詩は、戦前には検閲により発行禁止処分となったものでしたが、戦後には空前のヒット曲になりました。
[No.433]
Re: わが人生の歌がたり
投稿者:男爵
投稿日:2012/03/19(Mon) 17:46
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ザックスさん
> ラジオ深夜便でナマでかなりを聞きました。
> いい番組でしたね。
では続きを...
貧しいながらも刺激に満ちた日々を東京でおくっていても
やはり気がかりなのは、九州の家族のこと。
入院中の父の容態はどうだろうか。弟は商業学校に通っていたが、きちんと行っているだろうか。妹はどうしているだろうか。
夜、ふっと目が覚めて考え出すと、朝まで眠れない。
だが考えても自分ではどうしようもない。
自分が実家には迷惑をかけずに、東京で大学生活を続けていくだけで精いっぱいだった。
そのうちに授業料が払えないという問題が生じた。
いまよりずっと安かった授業料であったが、それでも年に二回、前期と後期に振り込まないといけない。
このお金がなかなかできない。三か月とか半年滞納すると、学部の事務局の掲示板に「授業料未納者」の名前が張り出される。
五木はその常連だった。それも半年、一年と延び延びになって、結局二年くらい滞納した。その間しょっちゅう督促がきた。
授業料をきちんと払った学生には、四月に新しい学生証をくれる。新年度の学生証は、しゃくなことに前の年の学生証と色を変えてあって、授業料を払った学生かどうか一目でわかるシステムになっていた。
たとえば大学の図書館には、新しい学生証でないと入れてもらえない。
大学は、授業料を納めない学生の卒業論文は受け付けてくれない。
しかたなく事務に行き、「二年ほど休学させてくれたら、その間に働くことに専念して月謝を払います」と申し入れたが、「だめだ」と受け付けてくれなかった。未納分の月謝を完納しないと休学も許可できないというのであった。
困って、「じゃあ、どうすればいいんですか」と聞くと、「抹籍願を出しなさい」と言われた。
「それなら退学します」と言っても、それまで授業料を払っていれば退学できるが、授業料を納めていない学生には、退学さえ認められないというのであった。
休学もだめ、退学もだめ。
抹籍というのは、大学にいた事実をいっさい抹消されて、資料もなくなることなのだった。
まいったなと思った五木は、父親がそのころ亡くなって、どうしても大学を卒業しなければならない足かせもなくなっていたので、抹籍届を出した。
大学を卒業しなければ生きてはいけないとは思っていなかったから。
(中退して作家になった例はいくらでもある。横光利一 太宰治 野坂 昭如...)
そんな憂鬱な日々を癒してくれるのは、やはり歌だった。
「有楽町で逢いましょう」はご当地ソングの走りだが、五木の好きな曲だった。
http://www.youtube.com/watch?v=7Nog3QNmCq4
♪ ♪
それまでの授業料を納めていない学生は、休学届も退学届も出せない。
出せるとしたら、抹籍届だけだ。
実は国立大学の場合も同じようだが、こちらは
抹籍ではなく除籍という。 籍がなくなるのは同じこと。
退学と抹籍(除籍)の違いは
たとえば、選挙の候補者が「○○大学中退」と言われても
もし、その大学に問い合わせたら
退学になっていれば退学という書類が残っているが
抹籍(除籍)になっていれば証拠の書類がないことになっているから
入学したことさえ証明してくれない。
で、つまり履歴を偽ったことになってしまう。
そんなことをいったって、合格発表の掲示板の写真とか合格通知書とか、当時の学生証とか同級生だった人たちの証言があるではないかと思うかもしれない。そんな資料や証拠(?)があっても、大学の学籍書類から抹消されているのだ。
卒業証明書ではなく中退証明書(そんなものをもし希望したろすると)、それが発行できるのは書類が大学に残っている場合であって、抹籍(除籍)では書類が残っていないのだから、なにも知らない人は、あの人が大学中退だって、とんでもない、大学にすら入学していないじゃないかと思うだろう。
現に五木はのちに某大学の聴講生になるのだが、これも大学中退かそうでないかでは、扱いがちがうのである。
大学中退でなく抹籍(除籍)なら高卒になるから、高卒者が大学の講義を聴講するのは簡単にはいかない場合がある(履歴書に高卒と書いた五木は試験を受けて聴講生となることができた)。
もっとも、五木は某パーテイで早稲田大学の総長に会う。
総長から「ぜひ校友会に入ってほしい」と言われて、「実は、中退でなく抹籍だから入る資格がないのです」と答えると、「どれくらい授業料を滞納されましたか」と聞かれ、「二年分くらいです」と答え、総長がすぐ大学事務局に連絡してくれた。
結局、五木は五万数千円をはらうことで、正式の早稲田大学中退と履歴書にも書けることになった。
私立大学ならともかく、国立大学ではどうだろうか、おそらくそういう扱いは無理だろうと思う。
[No.429]
Re: わが人生の歌がたり
投稿者:
投稿日:2012/03/19(Mon) 14:56
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> 五木寛之:わが人生の歌がたり
ラジオ深夜便でナマでかなりを聞きました。
いい番組でしたね。
[No.428]
Re: わが人生の歌がたり
投稿者:男爵
投稿日:2012/03/19(Mon) 10:19
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> 五木寛之:わが人生の歌がたり
>
> ラジオ深夜便で放送したものをもとに本にした。
昭和三十年になってムード音楽もぞくぞく登場してきた。
ベターッとこちらのマイナスの心情に寄り添ってくるようなメロディと歌声にのせられ、いやだなと思いながらも聞かずにいられない。
著者の五木が
なんともいえずぞくぞくする、反発させるようでいて、惹きつけられる裏声の歌を聞くと当時を思い出すという。
昭和三十三年に出た
和田弘とマヒナスターズの「泣かないで」
http://www.youtube.com/watch?v=fgARdcAb8BM
.......明日の晩も 会えるじゃないか
[No.427]
Re: 八橋検校十三の謎
投稿者:男爵
投稿日:2012/03/19(Mon) 09:52
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> 八橋検校 十三の謎(釣谷真弓著)
> http://www.artespublishing.com/books/903951-08-9.html
> しかし、この藩主内藤風虎は文人であったが、政治には熱心でなかったため、藩主の地位を追われ、八橋検校も平から去らねばならなかった。
> あのワーグナーのパトロンとして熱心なあまり、政治をかえりみず結婚もしなかった(王座を追われ湖で謎の死をとげた)ルードヴィッヒ二世を思わせる内藤風虎。
当時のドイツでは
鉄血宰相ビスマルクの政治力でプロイセンを中心としたドイツ帝国ができようと
していたとき、このルートヴィッヒ二世がバイエルン王であった。
本来はバイエルン王国は、プロイセン、オーストリア両強国の間にあって中小諸邦を
第三勢力として結集すべきであったが、かんじんの王様が政治嫌いで城作りと
ワーグナーのパトロンにあけくれていた。
歴史的には
ビスマルクに城の建設資金を出してもらうのと引き替えに、ドイツ皇帝と
してプロイセン王を推薦する役割をあてられてしまった王ということになっている。
なぜ王は結婚しなかったのか?
公式的な説明では
王には婚約者ゾフィがいたが、ゾフィよりもその姉のエリザベトが好きだったのだ。
エリザベトはしかし、オーストリアのフランツ・ヨーゼフ皇帝と結婚しているから、かなわぬ夢だったのだ。
歴史上悲劇の皇妃されるエリザベトだが、フランツ・ヨーゼフ皇帝の相手として、
皇帝の母親が考えていたのは、姉のヘレナの方だった。
しかし、見合いの席で、若いヨーゼフは慎み深い姉のヘレナより、活発な妹エリザベト
にひとめぼれをしてしまった。 エリザベト16歳のとき。
ルートヴィッヒ2世とオーストリア皇后エリザベトは親戚で、どちらも夢みるロマン
チストであったから
生前たがいのよき理解者であったようだ。
しかし、エリザベトより8歳年下のルートヴィッヒ2世は、彼女が結婚したとき8歳ということになる。
エリザベトが忘れられず結婚しなかったとは私には信じられないのだが。
> 京都の伝統菓子八ッ橋は八橋検校にまつわるものとされている。
> あのお菓子の形は箏をかたどっている。(いまは生八ッ橋が有名)
この本にも書かれてあるが
京都の菓子八ツ橋は
あの伊勢物語の八橋からとったものらしい。
少なくともそういう説がある。
明治になり八橋検校が京都にいたことがわかるにつれ
この菓子も八橋検校とのつながりが強調されたらしい。
伊勢物語
第九段、東下り・その壱
むかし、男ありけり。
その男、身をえうなきものに思ひなして、
京にはあらじ、東の方に住むべき国求めにとて行きけり。
..........
三河の国、八橋といふ所にいたりぬ
> 現代の箏曲は山田流と生田流であるが、どちらも八橋検校の箏曲の流れをくむものである。
ちなみに
著者は生田流筝曲家である。
[No.422]
わが人生の歌がたり
投稿者:男爵
投稿日:2012/03/19(Mon) 07:23
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五木寛之:わが人生の歌がたり
ラジオ深夜便で放送したものをもとに本にした。
古書店で重さで売っていた本を数冊買ってきた中の1冊。
1冊の値段にしたら50円以下。 もっと買ってきてもよかったが置く場所も少ないから。
流れ行く川のように 時代は移り 人も変わる。
その後に一つの歌が残り 過ぎゆく季節の記憶を奏でる。
昭和30年当時
五木は大学生だった。
生活は相変わらず苦しい。
五木も新宿でサンドイッチマンのアルバイトなどしていた。
日本の消費生活が少しずつ豊かになってくる。
それでいながら、社会的な激動は続いている。
不思議な、ある意味刺激的な時代だった。
鶴田浩二の「赤と黒のブルース」が思い出される。
http://www.youtube.com/watch?v=Mob7Tuwhi9w
[No.329]
八橋検校十三の謎
投稿者:男爵
投稿日:2012/03/16(Fri) 07:02
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八橋検校 十三の謎(釣谷真弓著)
http://www.artespublishing.com/books/903951-08-9.html
詳しく知りたい方は
この本をお読みになってください。
ここでは邦楽の箏(琴)の八橋検校についての紹介です。
まず箏と琴はもともとは違う楽器である。
琴には箏柱(ことじ)はない。 箏曲というくらい八橋検校の楽器は箏である。
箏は十三弦である。 もっとも現代では琴も箏も同じものをさす。
八橋検校は箏曲の祖と言われている。六段の調
検校とは、盲人芸人の最高位である。
その階級は 座頭、勾当、別当、検校となって
さらに座頭でも一度から四度までランクづけがあるように
階段を一つひとつ上っていかないといけないようになっている。
(座頭市の座頭は位だったんですね、勝手につけられない座頭)
(仙台市役所のそばにある勾当台公園は勾当からきている、伊達政宗が寵愛した盲目の狂歌師・花村勾当の屋敷があった)
八橋検校には実は有力なパトロン(スポンサー)がついていた。
それは奥州磐城平藩主の内藤風虎であった。
位を上がって検校にまでなるには相当の上納金を納めないといけなかった。
幕末には検校になるには総額719両が必要だった。
なにしろ平藩主がついていたから、資金も心配なかった。
しかし、この藩主内藤風虎は文人であったが、政治には熱心でなかったため、藩主の地位を追われ、八橋検校も平から去らねばならなかった。
あのワーグナーのパトロンとして熱心なあまり、政治をかえりみず結婚もしなかった(王座を追われ湖で謎の死をとげた)ルードヴィッヒ二世を思わせる内藤風虎。
京都の伝統菓子八ッ橋は八橋検校にまつわるものとされている。
あのお菓子の形は箏をかたどっている。(いまは生八ッ橋が有名)
現代の箏曲は山田流と生田流であるが、どちらも八橋検校の箏曲の流れをくむものである。
信州真田家に八橋流が伝えられている。
磐城平藩主内藤家と信州真田家は姻戚関係にあったからである。
[No.310]
Re: ”Terang bulan”
投稿者:男爵
投稿日:2012/03/15(Thu) 11:34
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BUPさん こんにちは
> コンニチハ 例によってヒマツブシ
> 何処かで、どなたかが、ご覧になって、早速、詳しい”Terang Bulan”の詳しい解説を頂きました。
まさに
世界に解放されている
この掲示板
ですね。
> 俺の全然知らない方のお書き込みです、ビックリしました。
> 以後、自重自戒して慎重に書くことにします。
まあ
書くことで新しい情報も得られるから
気にしないでどんどん行きましょう。
外国語を学ぶとき
恥をかくのを恐れると上達しないといいます。
恥をかいても賢くなればいい。
[No.309]
Re: ”Terang bulan”
投稿者:
投稿日:2012/03/15(Thu) 11:26
[関連記事] URL:http://bup7.blog37.fc2.com/ |
コンニチハ 例によってヒマツブシ
何処かで、どなたかが、ご覧になって、早速、詳しい”Terang Bulan”の詳しい解説を頂きました。
http://blog.goo.ne.jp/bagus_2006/e/4a5a744007d666baaa318913753c71f3
俺の全然知らない方のお書き込みです、ビックリしました。
以後、自重自戒して慎重に書くことにします。
[No.247]
Re: ナブッコ
投稿者:男爵
投稿日:2012/03/12(Mon) 16:43
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ザックスさん、オペラコさん、こんにちは。
ナブッコは残念ながら知らないのですが...
> オペラ友達はナブッコの公演あれば直ぐにでも行きたいと
> いつも言っています。
> でも残念ながら、カルメン、椿姫、アイーダなど日本人好みのオペラ上演
> が多いようですね。
アイーダはイタリア人青年たちと一緒に
南ドイツの町の劇場で見たことがあります。
その話はいずれ書きたいものです。
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