私の好きな音楽 
(期間: 2012.3.1 - 2012.4.30)

 音楽は心に潤いを与え、元気づけてくれます。
 J−ポップ、ラテン、歌謡曲、クラシックなど好きな音楽について話しましょう。


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  • [No.91] 「おじさんの泣けるYouTube」より 投稿者:BUP  投稿日:2012/03/05(Mon) 11:29
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    夏は来ぬ
    http://ojcry.com/?p=728
    朧月夜(おぼろづきよ)
    http://ojcry.com/?p=732

    http://ojcry.com/?p=694
    故郷(ふるさと)
    http://ojcry.com/?page_id=20
    その他 沢山。


    [No.72] Re: ”Terang bulan” 投稿者:BUP  投稿日:2012/03/04(Sun) 12:55
    [関連記事URL:http://bup7.blog37.fc2.com/


    画像サイズ: 366×565 (50kB)
    失礼しました、訂正
    > 戦後、此の曲はマレイシアの国家になってしまいましたので。
    ”国家”は”国歌”に訂正させて下さい。
    ゴメン   ボケて来ました。


    [No.59] Re: リンゴと蜜柑 投稿者:男爵  投稿日:2012/03/03(Sat) 23:31
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    さんらく亭 さん

    > 進駐軍がやってきて町中をジープで走っているとき駄菓子屋の店先のラヂオから
    > よく聴こえてきたのが「リンゴの唄」並木路子の元気な声でした♪
    >
    > 小学生の妹が友達と一緒に声を揃えて学芸会の練習で唄っていたのが
    > 「みかんの花咲く丘」川田正子・孝子の姉妹でした♪

    「みかんの花咲く丘」
    1946年8月に、東京と静岡を結ぶ、ラジオの「二元放送」が行われることになり
    その時の歌を頼まれた作曲家の海沼実が、たまたま居合わせた加藤省吾に頼んで作ったもらった詩に
    川田正子を連れての静岡行き列車の中で作曲したということになっています。

    しかし、川田正子によれば、それ以前に次はみかんの歌だと海沼から言われていた
    そうです。

    海沼はリンゴの歌の次はミカンと考えていたのかもしれません。

    そして
    「リンゴの唄」は実は
    終戦後ではなく戦時中につくられた歌なのです。


    [No.58] Re: ”Terang bulan” 投稿者:男爵  投稿日:2012/03/03(Sat) 23:11
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    BUPさん  こんにちは

    > 戦時中、昭和17年頃、セレベス島のマカッサルと言う海岸の町に居ました。
    > 赤道直下ですが、そんなに暑くはなく居心地の良い町でした、敵機(B-24)の爆撃が始まるまでは。
    > 月夜になると、本が読めるほど明るい月灯かりでした。

    > 皆様の御存じの”ブンガワンソロ”の唄と共に良く歌われいたのが、此の”Terang Bulan”の唄でした、直訳すれば、”月の明かり”かも・・・。
    > 戦後、雪村いずみさん主演の映画の題名にもなってます。

    これは一度は聞いた記憶があります。

    また書いてください、BUPさん


    [No.48] リンゴと蜜柑 投稿者:   投稿日:2012/03/03(Sat) 18:23
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    敗戦直後まだ田舎に疎開中でしたが、そのころ唄って元気づけられた歌です。

    進駐軍がやってきて町中をジープで走っているとき駄菓子屋の店先のラヂオから
    よく聴こえてきたのが「リンゴの唄」並木路子の元気な声でした♪

    小学生の妹が友達と一緒に声を揃えて学芸会の練習で唄っていたのが
    「みかんの花咲く丘」川田正子・孝子の姉妹でした♪

    いまでもこの「リンゴとみかん」を聴くとあの何も無くて貧しいけれど、何か
    明るいものに向かっていた当時のことを思い出します


            さんらく亭@甲子園


    [No.47] ”Terang bulan” 投稿者:BUP  投稿日:2012/03/03(Sat) 15:31
    [関連記事URL:http://homepage2.nifty.com/bup/index.html

    戦時中、昭和17年頃、セレベス島のマカッサルと言う海岸の町に居ました。
    赤道直下ですが、そんなに暑くはなく居心地の良い町でした、敵機(B-24)の爆撃が始まるまでは。
    月夜になると、本が読めるほど明るい月灯かりでした。
    隣家のメナド人の家の広い庭には籐椅子が並んでいて、沢山のお客さんが集まって来ます。
    若い兵隊たちや、民間人も呼ばれて、近所の子供たちと賑やかに月夜を過ごします。
    皆様の御存じの”ブンガワンソロ”の唄と共に良く歌われいたのが、此の”Terang Bulan”の唄でした、直訳すれば、”月の明かり”かも・・・。
    戦後、雪村いずみさん主演の映画の題名にもなってます。
    検索すれば沢山出てきます。
    http://homepage2.nifty.com/bup/bup-18.htm
    http://www.youtube.com/watch?v=m4o_kissLWU
    (元歌)
    Terang bulan, terang di pinggir kali
    Buaya timbul disangkalah mati
    Jangan percaya mulutnya lelaki
    Berani sumpah 'tapi takut mati

    (直訳)
    The moon is shining, moon shine reflects on the river
    Floating crocodile thought to be dead
    Don't believe man's word
    Dare to pledge but afraid of dying

    阿蘭陀版(英訳)
    The Bright Moon, the moon shines on Java
    And at her beach is just across Nonja
    She still thinks her Tuan Landa
    Those with his ship until it disappeared from
    She still thinks her Tuan Landa
    Those with his ship until it disappeared from

    戦後、此の曲はマレイシアの国家になってしまいましたので。
    戦争末期、昭和20年の春、最後の別れにマカッサルに飛ばして貰いました。
    武運拙く生き延びてしまい、戦後を放浪しておりましたが、どうしても、帰りたくなり、南洋航路の船会社の船員に無理矢理、押し込んで貰いましたが、遅すぎました。
    今、当時のトモタチは、皆、マカッサル郊外の墓地に眠ってます。
    一人で、何時も、この歌を口ずさんでます。  想い出でした。


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