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[No.1216] 朝日のあたる家 投稿者:男爵  投稿日:2012/04/13(Fri) 18:50
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みなさん  こんにちは
数日前のラジオ深夜便で
「朝日のあたる家」がとりあげられていました。

ボブ・ディランが、デビュー・アルバム『ボブ・ディラン』(1962年)の中でこの曲を取り上げ、真に迫ったボーカルで高く評価された。

それから
ジ・アニマルズの作品として有名になるのです。
http://www.youtube.com/watch?v=WyHu6XRiLWU

フォークソングの古典ですね。

ジョーン・バエズ. 朝日のあたる家
http://www.geocities.jp/return_youth/famou_showa/famou_showa/joan_baez_2.html

私の場合
森山良子のアルバムで知ったのでした。


[No.1220] ボブ・ディランのこと 投稿者:男爵  投稿日:2012/04/14(Sat) 05:53
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> 数日前のラジオ深夜便で
> 「朝日のあたる家」がとりあげられていました。

> ボブ・ディランが、デビュー・アルバム『ボブ・ディラン』(1962年)の中でこの曲を取り上げ、真に迫ったボーカルで高く評価された。

ボブ・ディランは伝説の人
しばしば「世代の代弁者」と崇められ、メッセージソングやプロテストソングの旗手と評される。
「風に吹かれて」、「時代は変る」、「ミスター・タンブリン・マン」、「ライク・ア・ローリング・ストーン」、「見張塔からずっと」、「天国への扉」他多数の楽曲により、半世紀にわたり多大なる影響を人々に与えてきた。

さて話は変わって
モスクワにあるアルバート通り(アルバート街)
その猥雑とした町の雰囲気を歌にしたブラート・オクジャワの
アルバート通りを見たくて
若き日の五木寛之はシベリア鉄道に乗ってモスクワへと旅に出た。

そもそも
ブラート・オクジャワを当時のモスクワの若者たちは
ソ連のボブ・ディランとしてあがめていたらしい。

ボブ・ディランと聞いて
ソ連の当局は、オクジャワもアルバートの歌も
禁止したのではないかと五木寛之は推定します。

山之内重美 アルバート街の歌/真夜中のトロリーバス
http://www.youtube.com/watch?v=VkCgX2bet40


[No.1234] 演歌/スカラーソング 投稿者:男爵  投稿日:2012/04/14(Sat) 14:14
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> ボブ・ディランは伝説の人
> しばしば「世代の代弁者」と崇められ、メッセージソングやプロテストソングの旗手と評される。

あの小沢昭一も言っている。
 明治時代、自由民権の思想を広めるために
 若者が歌っていた「演説歌」が演歌の起源。
 
  世の中の変革期に新しい考え方を主張する歌が演歌のはじまりでした。
 
 やがて、演歌、フォークは、いずれも
 メッセージソングから“恋の唄”へと変貌を遂げて・・・
 
  「演歌は“メッセージソング”もいいところで、
    のちに、男女の歌に変わってくるわけ。
    それと同じように、
    戦後のフォークソングも最初はメッセージソングで、
    それが、あとで恋の歌に変わっていくわけ。...」

    −−−−−−−−−−−−−−−−−

スカラーソング(学生節) 箱根八里の替歌
http://www.youtube.com/watch?v=VimYOP8v-r0&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=NvKy1JYmkb8

ああ金の世 - 島田正吾
http://www.youtube.com/watch?v=k5lISD5FkqE&feature=related
詩、曲:添田唖蝉坊(明治39年)


[No.1243] フォークソング/青年は荒野をめざす 投稿者:男爵  投稿日:2012/04/15(Sun) 07:09
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>  やがて、演歌、フォークは、いずれも
>  メッセージソングから“恋の唄”へと変貌を遂げて・・・
>  
>   「演歌は“メッセージソング”もいいところで、
>     のちに、男女の歌に変わってくるわけ。
>     それと同じように、
>     戦後のフォークソングも最初はメッセージソングで、
>     それが、あとで恋の歌に変わっていくわけ。...」

詩集フォークソング、主婦の友社(平成14年)

この本に載っているフォークソングをいくつか紹介すると
 バラが咲いた 1966年4月
 君について行こう 1966年6月
 若者たち 1966年8月
 この広い野原いっぱい 1967年1月
 今日の日はさようなら 1967年8月
 帰ってきたヨッパライ 1967年12月
 イムジン河 1968年2月
 友よ 1968年10月
 小さな日記 1968年10月
 青年は荒野をめざす 1968年12月
 時には母のない子のように 1969年2月
 希望 1969年5月 (フォー・セインツの歌だが、翌年岸洋子が歌ってヒット)
 手紙 1969年6月
 昭和ブルース 1969年7月
 花嫁 1971年1月
 赤色エレジー 1972年4月

http://www.mellow-club.org/cgibin/free_bbs/12-semi2/wforum.cgi?no=596&mode=allread#622

そういうわけで
青年は荒野をめざす
五木寛之作詞・加藤和彦作曲  ザ・フォーク・クルセダーズ
http://www.youtube.com/watch?v=6YQIODEAiL8

http://www.youtube.com/watch?v=qfc0sT-3qZ4&feature=related