ザックスさん、オペラコさん、こんにちは。
> アイーダはイタリア人青年たちと一緒に > 南ドイツの町の劇場で見たことがあります。 > その話はいずれ書きたいものです。
アイーダを見に(聞きに)行ったのは 日本人歌手が舞台に立つからということで 誘われたのです。
当時その町の音楽学校に多くの日本人たちが 音楽の勉強に来ていました。
語学学校で一緒だったりして親ししくなった 日本人音楽家から誘われたのです。 彼も日本では音楽大学に勤める教員でした。 やはり彼も声楽の勉強をしていて いつも大きな声で歌っていました。
町の劇場には 学割で入場できました。 私は当時学生証を持っていたのです。 これを使えば、バスも電車も学割、博物館の入場料金も安くなります。
そのときのオペラの入場料金は(学割で)約500円くらいでした。 (新国立劇場のZ席1500円みたいなものです) つまり天井桟敷で舞台から遠いのです。 彼はオペラグラスをもってきました。しかし、歌声は十分聞くことができました。 (当時の物価では、町のレストランで定食500-700円くらい。学食なら200円以下)
それでも雰囲気は十分楽しめたのです。
あらすじ エチオピア軍がエジプトに迫るとの噂が伝わっている。祭司長ラムフィスは神託により、若きラダメスを司令官に任命する。ラダメスは王女アムネリスに仕える奴隷アイーダ(実はエチオピアの王女)と相思相愛であった。王女アムネリスも彼が好きなので、アイーダは恋敵であると思い嫉妬する。
アイーダは舞台に一人残り、父であるエチオピア王と恋人・ラダメスが戦わなければならない運命を嘆き、自らの死を神に願う。
エジプト軍は勝利して、ラダメスは軍勢を率いて凱旋する。彼はエチオピア人捕虜の釈放を国王に願う。捕虜の中には身分を隠したアモナズロ王もいた。ラムフィスはアモナズロを人質として残すことを条件に捕虜釈放に同意、エジプト国王はラダメスに娘アムネリスを与え、次代国王にも指名する。勝ち誇るアムネリス、絶望に沈むアイーダ。
次のエジプト軍の動きを探ろうとするアモナズロは、司令官ラダメスからそれを聞き出すようにアイーダに命じる。アイーダが逃げ道を聞くので、ラダメスは最高機密であるエジプト軍の行軍経路を口にしてしまう。アモナズロは欣喜雀躍して登場、一緒にエチオピアに逃げようと勧めるが、愕然とするラダメスは自らの軽率を悔いる。アモナズロとアイーダ父娘は逃亡。ラダメスは自首して捕縛される。
アムネリスは裁判を待つラダメスに面会する。彼女は、ラダメスがアイーダをあきらめ自分を受け容れてくれるなら、助命に奔走しようと言うが、ラダメスは拒絶し、裁判で、ラダメスは地下牢に生き埋めの刑と決定する。
舞台は上下2層に分かれ、下層は地下牢、上層は神殿。ラダメスが地下牢に入れられると、そこにはアイーダが待っている。彼女は判決を予想してここに潜んでいたのだと言う。2人は現世の苦しみに別れを告げ、平穏に死んで行く。地上の神殿ではアムネリスがラダメスの冥福を静かに祈る。
さて エジプトに戦争で負けたエチオピアの話なのに われわれの見たオペラでは なんと 第二次エチオピア戦争当時の実写映像が写し出されたのです。 第二次エチオピア戦争とは、1935年から1936年にかけて起きたイタリア王国とエチオピア帝国の戦争。第一次エチオピア戦争(1889年-1896年)で敗れたイタリアは、再度エチオピアの植民地化を意図して侵攻を行い、短期間の戦闘をもって全土を占領した。
このオペラで、「ファシストの指導者」ムッソリーニ 批判をしたわけです。 ドイツのナチス批判の意味もこめてかどうかはともかく、映像が映し出されると 会場には怒号や口笛が響き、しばらく騒然としました。 しかし、ほとぼりがさめ会場が静かになってから、無事最後まで上演されましたが。
あとで イタリア人若者がひどかったと怒っていました。 ヴェルディがイタリア人だからとしても アイーダとファシストのムッソリーニ(エチオピア戦争)を結びつけたのは 過激な演出でした。
|