> 八橋検校 十三の謎(釣谷真弓著) > http://www.artespublishing.com/books/903951-08-9.html
> しかし、この藩主内藤風虎は文人であったが、政治には熱心でなかったため、藩主の地位を追われ、八橋検校も平から去らねばならなかった。 > あのワーグナーのパトロンとして熱心なあまり、政治をかえりみず結婚もしなかった(王座を追われ湖で謎の死をとげた)ルードヴィッヒ二世を思わせる内藤風虎。
当時のドイツでは 鉄血宰相ビスマルクの政治力でプロイセンを中心としたドイツ帝国ができようと していたとき、このルートヴィッヒ二世がバイエルン王であった。 本来はバイエルン王国は、プロイセン、オーストリア両強国の間にあって中小諸邦を 第三勢力として結集すべきであったが、かんじんの王様が政治嫌いで城作りと ワーグナーのパトロンにあけくれていた。
歴史的には ビスマルクに城の建設資金を出してもらうのと引き替えに、ドイツ皇帝と してプロイセン王を推薦する役割をあてられてしまった王ということになっている。
なぜ王は結婚しなかったのか? 公式的な説明では 王には婚約者ゾフィがいたが、ゾフィよりもその姉のエリザベトが好きだったのだ。 エリザベトはしかし、オーストリアのフランツ・ヨーゼフ皇帝と結婚しているから、かなわぬ夢だったのだ。
歴史上悲劇の皇妃されるエリザベトだが、フランツ・ヨーゼフ皇帝の相手として、 皇帝の母親が考えていたのは、姉のヘレナの方だった。 しかし、見合いの席で、若いヨーゼフは慎み深い姉のヘレナより、活発な妹エリザベト にひとめぼれをしてしまった。 エリザベト16歳のとき。
ルートヴィッヒ2世とオーストリア皇后エリザベトは親戚で、どちらも夢みるロマン チストであったから 生前たがいのよき理解者であったようだ。 しかし、エリザベトより8歳年下のルートヴィッヒ2世は、彼女が結婚したとき8歳ということになる。 エリザベトが忘れられず結婚しなかったとは私には信じられないのだが。
> 京都の伝統菓子八ッ橋は八橋検校にまつわるものとされている。 > あのお菓子の形は箏をかたどっている。(いまは生八ッ橋が有名)
この本にも書かれてあるが 京都の菓子八ツ橋は あの伊勢物語の八橋からとったものらしい。 少なくともそういう説がある。
明治になり八橋検校が京都にいたことがわかるにつれ この菓子も八橋検校とのつながりが強調されたらしい。 伊勢物語 第九段、東下り・その壱 むかし、男ありけり。 その男、身をえうなきものに思ひなして、 京にはあらじ、東の方に住むべき国求めにとて行きけり。 .......... 三河の国、八橋といふ所にいたりぬ
> 現代の箏曲は山田流と生田流であるが、どちらも八橋検校の箏曲の流れをくむものである。
ちなみに 著者は生田流筝曲家である。
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