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[No.48] リンゴと蜜柑 投稿者:   投稿日:2012/03/03(Sat) 18:23
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敗戦直後まだ田舎に疎開中でしたが、そのころ唄って元気づけられた歌です。

進駐軍がやってきて町中をジープで走っているとき駄菓子屋の店先のラヂオから
よく聴こえてきたのが「リンゴの唄」並木路子の元気な声でした♪

小学生の妹が友達と一緒に声を揃えて学芸会の練習で唄っていたのが
「みかんの花咲く丘」川田正子・孝子の姉妹でした♪

いまでもこの「リンゴとみかん」を聴くとあの何も無くて貧しいけれど、何か
明るいものに向かっていた当時のことを思い出します


        さんらく亭@甲子園


[No.59] Re: リンゴと蜜柑 投稿者:男爵  投稿日:2012/03/03(Sat) 23:31
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さんらく亭 さん

> 進駐軍がやってきて町中をジープで走っているとき駄菓子屋の店先のラヂオから
> よく聴こえてきたのが「リンゴの唄」並木路子の元気な声でした♪
>
> 小学生の妹が友達と一緒に声を揃えて学芸会の練習で唄っていたのが
> 「みかんの花咲く丘」川田正子・孝子の姉妹でした♪

「みかんの花咲く丘」
1946年8月に、東京と静岡を結ぶ、ラジオの「二元放送」が行われることになり
その時の歌を頼まれた作曲家の海沼実が、たまたま居合わせた加藤省吾に頼んで作ったもらった詩に
川田正子を連れての静岡行き列車の中で作曲したということになっています。

しかし、川田正子によれば、それ以前に次はみかんの歌だと海沼から言われていた
そうです。

海沼はリンゴの歌の次はミカンと考えていたのかもしれません。

そして
「リンゴの唄」は実は
終戦後ではなく戦時中につくられた歌なのです。


[No.438] Re: リンゴと蜜柑 投稿者:男爵  投稿日:2012/03/19(Mon) 19:00
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さんらく亭 さん

> 海沼はリンゴの歌の次はミカンと考えていたのかもしれません。

> そして
> 「リンゴの唄」は実は
> 終戦後ではなく戦時中につくられた歌なのです。

「リンゴの唄」が戦前に作られた歌というのは
何かの本で読んだのですが....

とりあえず
ネットにあったのを見つけました。
http://www.ibcpub.co.jp/japanese_history/japanese092.html
  > この「リンゴの唄」の詩は、戦前には検閲により発行禁止処分となったものでしたが、戦後には空前のヒット曲になりました。


[No.587] Re: リンゴと蜜柑 投稿者:男爵  投稿日:2012/03/23(Fri) 20:02
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さんらく亭さん、みなさん

> > 「リンゴの唄」は実は
> > 終戦後ではなく戦時中につくられた歌なのです

和田登:唄の旅人中山晋平、岩波書店(2010)197〜198頁
に書いてありました。

「リンゴの唄」は
サトウハチローが
日本の軍歌はあまりにも暗く、悲愴すぎるとし
「陽気な軍歌のない国は負けると思っていたから」
明るい軍歌として「リンゴの唄」を作ったという。

その歌を戦後に映画主題歌として使うにあたり
現在歌われている一番の前にあった幻の一番を削除して世に出したところ
大ヒットとなったというわけなのである。

その幻の一番とは、次のようなものである。
  
  リンゴ畑の 香りにむせて
  泣けてくるよな 喜びを
  若さに濡れている リンゴの瞳
  乙女の希望が 光ってる
  リンゴ可愛いや 可愛いやリンゴ

せっかく昭和18年にサトウハチローが書いたのに
この歌は他の歌(軍歌)にくらべて浮いた存在だったので
軍部の検閲では、こんな軟弱な歌が許せるものかと
お蔵入りにされてしまった。