談志絶唱昭和の歌謡曲(2006)
亡くなった立川談志が生前に 赤塚不二夫と酒を飲みながら対談したのを記録した本がある。 そのとき二人ともガンであった。
松平晃の「夕陽は落ちて」「急げ幌馬車」は絶品と談志はいう。 松平晃は「サーカスの歌」ですね。
談志の思い出の歌謡曲について沢山書いているが省略します。
ディック・ミネの葬式の時「ダイナ」を歌って送った。 淡谷のり子と相合傘で歩いた。
三橋三智也や田端義夫はよく談志とつきあってくれた。 気があったというかサービス精神が旺盛だったのだろう。
だからというか 談志はフランク永井に歌を歌ってもらった(こういう場合は持ち歌ではなく他の歌手の歌)。 そうしたら1万円を要求されたという。談志とフランクはつかみあいの喧嘩になった。 フランク永井については、サインを書くときにもお金を要求したとか、もったいをつけたという話を別な人から聞いたことがある。その人は千昌夫は気軽にサインに応じるとも言った。
談志があまり評価しなかった歌謡曲 鈴木三重子「愛ちゃんはお嫁に」 三浦洸一「踊り子」
昭和の歌謡曲は青春だった。 ふりかえると、まさに日本が青春時代だった。 いま歌謡曲は衰退した。興行師も歌謡曲には手を出さない。 それは、日本が年をとったからと談志は分析する。 老いたのは、高齢者ばかりでなく若者も老いたのだ、そう談志はいう。 はたしてそうなのか。 それはともかく五木寛之ももはや歌謡曲は衰退の道をたどっていると述べている。
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