唐辛子 紋次郎さん、Panさん、みなさん。 > 何年か後になって、国民学校の音楽会で上級生が合唱で歌い、シューマン > の「流浪の民」だと覚えました。 > > 高校時代には共学になったコーラス部で歌いました。 > ずっと後になって「ニルーの水」はナイル川の事らしいと判りました。
ヨーロッパの町々をさすらうロマ(かつてはジプシーと呼ばれることが多かった。ドイツ語ではツィゴイナーとも)の生活の物悲しさを歌ったものであるとされています。
いまはジプシーは差別語だからロマを使うようにと言われていますが ある本には、自分たちのことをジプシーと呼ぶジプシーもいるから ジプシーでいいのだと書いていました。
それはさておき 自分たちはエジプトから来たと言うから、(エジプシー)だからジプシーなのだと 私は了解していました。 実際は言語など調べた学者により、エジプトではなくインドから はるか時間をかけてヨーロッパに到達したというのが定説になりました。
ジプシーは女は踊ったり歌ったり、占いをしたり、時には春を売るということをしたようです。
ジプシーの生業を考えると 日本にもいた 傀儡子(くぐつ)を連想します。 これは諸国を旅し、芸能によって生計を営む集団のことです。
傀儡子は 操り人形の人形劇を行い、男は奇術なども行い、女は劇に合わせた詩を唄い、呪術の要素も持ち禊や祓いもして、客と閨をともにしたとも言われます。
柳田国男は傀儡子は朝鮮半島から来たと考えていました。 いまも韓国にはムーダンが残っています。
傀儡子のなかから、職業芸能人が出てきたのです。 阿国歌舞伎や川原乞食と言われた人々は傀儡子の末裔と私は考えています。
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