[No.1090]
Re: 智恵子抄
投稿者:男爵
投稿日:2012/04/08(Sun) 10:49
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KAME((亀井)さん
> 智恵子は頭がオカシクなってから九十九里に来て療養しました。
> 東京から高村光太郎が毎週見舞いに来たそうです。
昭和9(1934)年5月、高村光太郎は精神を病んだ智恵子夫人を九十九里町真亀納屋の「田村別荘」に転地療養させました。
「田村別荘」には智恵子の実妹斎藤セツ一家(夫新吉・子俊太郎)と母センが住んでおり、智恵子の介護にあたりました。
智恵子は 九十九里町でその年の12月まで8ヶ月間の療養生活を送ります。
その後
昭和10年(1935)には智恵子をゼームス坂病院に入院させます。
この病院で智恵子は、今までおさえられていた創作意欲をはきだすかのように切り絵に没頭し、一千点もの作品を残します(一部は安達の智恵子の生家の裏の記念館に展示されています)。
智恵子は、3年後にこの病院で生涯を終えます。
ゼームス坂病院は、戦後まもなく取り壊されてしまったが、その跡地の一角に、記念碑「レモン哀歌の碑」が建てられています。
http://sinagawasigen.jp/kanko/view.cgi?mode=find&no=435