[No.127]
物忘れが多くてもよい
投稿者:男爵
投稿日:2012/10/31(Wed) 10:52
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この部屋のこのテーマも本日限り。
明日からは、別テーマがはじまります。
(運動不足、私の対策)
来月も どうぞよろしく。
さて
いま
「斎藤茂太:ゆっくり力ですべてがうまくいく、新潮社」を
読んでいたら、下記の文章がありました。
物忘れが多くてもよい、テキパキできなくてもよい
人は自分自身に対する過信がある。
それができなかった場合、自分を厳しく責めたて苦しめていることがある。
たとえば「最近物忘れが多くなった」と感じたとする。
著者の知人も、出掛けに「あ、あれを忘れた」と思って、それをとりに部屋まで戻ると、「なにをとりに戻ったのか」を忘れているという。
じつにいまいましい気分になる。自分に対していらいらする。
前はこんなはずじゃなかったんだが......
三つも四つも同時に考え、テキパキと処理できたのに.....と、つい思ったりもするらしい。
そんなことをくりかえしているうちに
「いやいや、自分のピークのときのことばかり考えて今と比較するのはやめよう、それ自体が図々しいことなんだ」
と思う直す習慣がついているともいう。
ある時期、たまたま十できたのに、今、七、八しかできなかったとしてもいいではないか。
いや、五でも、四でもいいかもしれない。
とにかく、いつまでもピーク時の自分にこだわって、今の自分を責めるのはやめよう。意味がない。
考えてもみよう。私たちは、最初はみんな赤ちゃんだった。
そのうち、お正月を何十回か迎えているうちに、こうして大人になり、社会生活をおくれるまでになった。
極端にいってしまえば「少し前まで」の赤ちゃんのころにはなにひとつできなかったではないか。
それが、いつの間にか一人前の人間としてあれこれできるようになった。
「初心忘れるべからず」とは
単に慢心をいさめる言葉ではなく、もっとも未熟で、なにひとつ満足にはできなかったことを忘れないこと。
だから仮に今、十のうち七、八しかできなくても、それだけで自分を責めないこと。
しかし、努力は怠らないこと。
「今できる力」でナントカしようとするところに楽しみが見つかるものだ。
ということなんですが
物忘れが多くても、それは自然なのだから、自分自身を厳しく責めないで
できる努力をしながら、なんとかのりきろうとすればよい
ということのようです。
できない自分を責めてもしようがないし、少しでもできる自分を認めたり元気づけるのがよろしいようです。