メロウ植物園 
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[No.58655] Re: 行李 投稿者:Pan  投稿日:2019/05/16(Thu) 23:20
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yukiさん、meguさん、こんばんは。

> >  詳しい仕組みが判らないままですが、途中で乗り換えがあっても
> > 同じ列車で終着駅まで到着し、乗車券の中に費用は含まれていた感
> > じですね。
>
> ちょっと記憶違いかと思います、チッキは有料だったようです。
>
> 下記URLをご覧下さい。
>
> https://kotobank.jp/word/%E9%89%84%E9%81%93%E6%89%8B%E8%8D%B7%E7%89%A9-1565725
>
> 「 なお旧国鉄時代には、これらとは別に、鉄道事業者が旅客から引渡しを受けて有料で運送する
> 「託送手荷物」(「チッキ」とよばれていた)の制度があった。同制度は、全路線を対象に、定期
> 券以外の旅客が乗車券を呈示して1人1回限り、総重量90キログラムまでの荷物を3個まで、乗車
> 区間に基づいて託送するものであり、駅留(どめ)と、追加料金による配達の取扱いがあった。」

 子供心でしたが、「駅留」と言う言葉にも記憶があります。 

 まだ小学生の頃だったと思います。
 そう言えば『チッキ』と言う言葉もありましたね。

 田舎の家は今で言うJR駅の比較的近くにあったので助かりました。

 田舎の家に着いてから、山仕事に使う小型の手押車をガラガラと押し
て、その柳行李を受け取りに駅まで行くのも私の仕事でした。

 とにかく長男と言うのは今思えば大変でしたよ。
 期待されることが大きくて。

 具体的な手順は思い出せませんが、私の乗っていった乗車券を見せる
かどうかすると、同じ列車の貨客車に積んで同じ駅に着いた荷物を渡し
てくれたのが非常にありがたかった事を思い出します。

 当時の客車には貨客車と言うのが1両連結されていて、乗客と手荷物
が同時に着いたのです。

 これは今から思っても素晴らしいシステムでしたね。

 私鉄沿線の自宅から遠くの郷里の国鉄駅まで、とても手持ちで運べる
はずのない重い荷物(柳行李)が、自分と一緒に田舎の降車駅に着くの
ですから。

 積む時はどうなっていたのかも不思議です。 しかもやや高学年とは
言え、小学生の私が主体となって関わっていたのも不思議です。

 出発の自宅から当時の国鉄の京都駅までは、20分間近く私鉄に乗り
ましたから、その間はどこをどう行ったのでしょう?

 私に記憶が無いのは親がやっていたって事でしょうね。

 我々家族が手で持ち運べるような行李ではありません。

 今から見ればとことんロウテク時代にそのようなシステムが既に完成
していたのですから驚きです。

 当然全国組織でしょう。  当時(もっと前)から、そのような全国
組織が完備していたのでしょう。


    ***** Pan *****


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