[No.231]
石川啄木の飲んだ酒
投稿者:男爵
投稿日:2013/01/19(Sat) 16:34
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> 5月には函館に渡る。
> 6月函館弥生尋常小学校代用教員となる。
> 9月札幌「北門新報」を経て「小樽日報」の創業に参画。野口雨情と三面を担当。
> 12月小林事務長と争論。
> 1908(明治41年) 1月釧路新聞社に赴任。4月上京。
1月21日の夜、啄木は白石義郎社長に伴われ、釧路の土を踏む。
釧路では、編集長として、「釧路詞壇」をもうけ、読者からの短歌、詩などを募って載せた。(応募が少ないときは、啄木がいろんな変名で歌を載せた)
「雲間寸観」では、啄木が大木頭の匿名で、中央政界の動静や国際情勢などを解説した。
さらに、2月1日からは「紅筆(べにふで)便り」で、花柳界のゴシップ記事を載せ始めた。これは3月25日の15回まで続いた。
2月は13日も料亭に通った。
軍鶏寅の小奴、鹿島屋の市子という芸妓を特に贔屓とした。
さて
啄木の飲んだ酒と思われるのは、下記のことから推定される。
2月2日に釧路新聞社新築落成式があり
釧路一の料亭喜望楼で開催された披露宴では、啄木は座興の福引きの司会をした。
この準備は啄木がしたのだが、それは東京新詩社の新年会で福引きがあり、啄木が出席した経験があり、それがヒントになった座興であった。
たとえば、「一人娘」は、せっかくのお望みながら、とても差し上げられないというわけで景品なし。
「貧乏新聞の記者」は、一生(一升)つまらないということで、清酒正宗の四合瓶一本。
つまり、このとき釧路では正宗という日本酒が飲まれていたのだろう。
○正宗、○○正宗、○△□正宗という酒は多いけど、ただの正宗という酒は
現在はあるでしょうか。
なぜ、○○正宗が多いのか
清酒には「○○正宗」という酒銘が多い。
もとは灘の名門、嘉納家が、名刀「正宗」(マサムネ)のような切れ味のよいお酒という意味で、音読みすると「セイシュウ」であることから同家の酒を正宗と名づけたという。
あまりにも多くの酒屋が真似して使うのでそれぞれ「○○正宗」としたらしい。
http://www.skoji.jp/movabletype/2007/04/masamune1.html
さて
啄木は、ライバル新聞社をつぶすべく、その新聞社の記者を強引に引き抜いたり、函館の友人を就職させるため、釧路の第三小学校の醜聞の噂を新聞記事にしたりと、回りに問題を引き起こし
男女関係にも疲れたりして、無断で新聞社を休んだため社長から電報を受け取り
4月2日の函館行きの船に乗ることにする。
函館の家族に会いに行くと上司に伝え、実は退社するつもりだった。
船は出航が遅れ5日に釧路を出る。(4月24日に函館から船に乗り横浜に向かう)
参考にしたのは
工藤与志男:新聞記者石川啄木 こころざし出版社 (1987)
この本には清酒正宗とだけしか載っていないが、○正宗という実名だったのをぼかしたのだろうか。