桐子さん、男爵さん、みなさん、こんにちは。
> > > 私の暮す隠居所(ホーム)は茨城東南部。
ホームとあったので、駅のホームにいたんだー! とカン違いしてしまいました。
私は横浜なのであまり感じることなくでしたが、茨城では大変だったのですね。
> > 部屋が丸ごと揺すぶられ、家具や日用品が散乱、私は頽れて > > ヘルパーさんに抱きかかえられ太い柱のあるロビーへやっと > > 逃げました。 >
私は障害者に付き添って大きな会館で音楽会でしたが、そこにいるほうが安心 と外へは非難しませんでした。 帰りが大変でしたね。車で30分もあれば帰ってこられるところなのに、 2時間以上かかったでしょうか。
> > > > 停電でトイレは使えず、市の大型トイレ車が来てくれました。 >
そのようなこともあったのですね。大変だわ。 わが住む町は、なんのことでか、停電はしませんでした。 何かあっても転電しない、させられない、そのようになっているようです。
> 私は翌日に電池を買いに某店に行ったのですが > 長い行列の末、なんとか目的のものは買えましたが
よかったですね。 私の場合は、逆で買い物はなにもないわー。でした。 なん日か経って、パンが欲しいと思ったら売っていませんでした。 横浜の関内では人家がないせいか、売っていたので、夫に店の帰りに 買ってきてもらったことが一度ありました。
> > 駅前に避難所があって、飲み物や食べ物や毛布など配布していました。 >
男爵さんは、桐子さんと同じように震源地に近かったのですか? > > 調理場も壊れ、事務所のみなさんが奔走なさって、パンや水、 > > 牛乳などを調達なさいました。 > > 大変でしたね。 > ご無事で何よりでした。
ほんと! 1年以上過ぎて、こうしてそのことを書き込んでいられることを 感謝しなければいけませんね。
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