藤川佳三:石巻市立湊小学校避難所
「石巻市立湊小学校避難所」はドキュメンタリー映画 この本は編集フィルムに出てこなかった 忘れられない細々したできごとを綴ったもの。
著者は映画監督である。 知人に連れられ石巻に入る。 そこで見たのは元気な地域の人たちだった。 しかし、だんだん慣れてわかってくると 大震災で身も心も打撃を受けた人々は 悲しんでばかりいられないから、空元気でも 陽気に振る舞おうとしていたことがわかる。
そういう努力も、まわりを明るくさせ、自分の未来も 希望がもてるようになるから。
この本には、暗いことは書いていない。 本当は悲しいことなのだが、それを語る人々や 記録する著者の姿勢に、不満とか絶望とかがない。
そのためか 読んでいても明るくなる。 被災地のことを書いた本で、こんなに楽しく読める本は珍しい。
避難所の物資班の班長はなりたてのAさんだった。 Aさんは震災前に浜岡原発で働いていて、休暇で石巻に戻って 三日目に震災に遭った。
ビルに逃れた後、助けられた。 避難所にいるうちに前任者のあととして物資班班長になるよう頼まれた。
班長になった次の日から、物資がこなくなった。 前任者の時はあまるくらい配達があったのに。 これは自分が代わったからかと内心心配になってきた。
実は避難所にどんどん人が増えて、2000人の人が食べ物をとりに 小学校に来ていたのが、最終的には3000人がくるようになった。 この人たちが全員小学校に避難しているのではなく 自宅からあるいは他の避難所から、配給の時に集まってくるのだ。
そのときの食料は水とお菓子しかなかった。 班長になって2日くらいで食料がなくなってしまった。 明日もし食料が来なかったらどうしようと思うと心配で眠れなかった。
夜中に取材が来た。 電気がないから、スポットライトに照らされてカメラが回っていた。 レポーターの人から質問されるが、Aさんは完全にふてくされていた。
「電気はどうですか?」 「見りゃわかるだろう、まっ暗なんだからさあ」 「ガスは?」 「ガスだってねえよ。カセットコンロでお湯あっためてるんだからさ」 「水は?」 「水だってねえよ。ベットボトルの水しかねえよ。風呂だって二週間くらい入ってねえし、歯だって磨いてないんだからな」 思い出したら腹が立ってきたな。ほんと他人事みたいに言いやがってよ。
「食べ物どうですか?」 「ご飯がないんです。明日のご飯がないんです」 「なんでこれだけ食べ物や飲み物がないんですか?」 「一番頼りにしてた自衛隊と行政っていうの? 国や市が何もしてくれないんだからさ。それがこのありさまだよ。ここに何人いると思ってんだよ。3000人だぞ。俺だって好きで3000人まかなってんじゃないよ」 「学校の中だけだったら何とかなったかもしれないけど、外もって言ったら、それだけで三倍は必要になるんだぞ」 「市役所の人もさあ、紙切れとボールペンだけ持ってきて『ここ何人ですか』って聞いて、それでさよならかよ。カロリーメイトの一つでも持ってきてくれよ」
次の日の朝か、その次の日の朝か あーあ、死なないといけねえなとか思ったよ。 なんて言って詫びようみたいな気持ちになって。
そしたらさ、そんときにね 配給ってたしか9時からだったかな。 その前にね、来たんだよ配給が。 だから、こりゃいいやっと思って 自分で拡声器もって、みんなに搬入手伝ってもらったんだよ。 浮かれてたんだよ。やっと食いもんが来たよって。
で、一緒に運びながら、これで本日は腹一杯食べられますよって。 すごいな。まだ終わらないよ。食い切れないな。 あはは。まだ来るの。もういいよ。まだ来るよ。ま〜だ〜。 もういいよ。
何でこんなに来るんだってくらい来ました。 中身はおにぎり、パン、お菓子、水、缶詰 大急ぎで集計して、このときは多分おにぎり二個、パン一個、水ペットボトル500ミリリットル二人で一本だったと思う。
朝の配給が終わったと思ったらまた物資の搬入。 その日に来たのはトラック計7台。音楽室がパンパンになった。 テレビの力って、スゲ〜。正直こんなに早く反響が来るなんて思っていなかった。
人ってまだまだ捨てたもんじゃない。 見ている人はいるんだって実感した。 俺たちの頑張りは無駄じゃない。やってて良かった。 これで、皆に腹一杯のご飯を渡せるぞって思った。
その日は、本部物資班班長の俺にとっては、ミラクルな日になった。
|