みなさんは今までに観た芝居や映画に、たくさん思い出があるでしょう。
心に残る芝居、楽しかった映画
それから俳優や女優について思うことをどんどん書いてください。
もちろん最近見た芝居や映画、これから見たい舞台や映画も歓迎します。
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[No.629]
泉鏡花
投稿者:男爵
投稿日:2013/10/20(Sun) 05:56
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> 湯島の白梅(婦系図の歌) 作詞:佐伯孝夫、作曲:清水保雄
>
> 泉鏡花の小説「婦系図」を昭和17年に、マキノ正博監督により
> 早瀬役:長谷川一夫・お蔦役:山田五十鈴の主演により製作された東宝映画「婦系図」の主題歌。
金沢のほこる作家の泉鏡花
彼の母鈴は葛野流大鼓方中田万三郎豊喜の娘で、その兄(次男)金太郎は請われて宝生流シテ方の松本家に養子入りした。すなわち宝生九郎の高弟として知られた能楽師松本金太郎がこれで、その子松本長は鏡花の従兄にあたる。長の長男は俳人松本たかし、次男は松本惠雄(人間国宝)。
母は、鏡花にとって終生追慕の対象であった。12歳で松任の「成の摩耶祠」を訪れたとき、摩耶夫人像を母の面影に重ねて以来、彼は死ぬまで摩耶夫人を信仰していた。
妻・すずはもともと神楽坂に桃太郎という名で出ていた芸妓で、師紅葉は二人の関係を絶対にゆるさず、「女を捨てるか、師匠を捨てるか」とまで鏡花に迫った。
二人はお互いを想いながらも泣く泣く離別を決意し、この体験が『婦系図』の湯島天神の場の下敷きになっているという。
紅葉の没後、鏡花はすずと結婚し、夫婦仲ははなはだよかった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%89%E9%8F%A1%E8%8A%B1
鏡花を囲む九九九会(くうくうくうかい)が、里見と水上を発起人として始まり、常連として岡田三郎助、鏑木清方、小村雪岱、久保田万太郎らが毎月集まった。
など読むと、全国オフの金沢での泉鏡花記念館で見た美人画を思い出す。
泉鏡花の師匠である尾崎紅葉としては
芸者ではなく、いわゆる名門上流階級から嫁をもらわせたかったようだが
泉鏡花はマザコンのようで、亡き母と同じ名前のすずに強くひかれたらしい。
師匠の言葉に逆らえず、いったんはすずと別れたが、紅葉が死んでしまったから
すずと一緒になって死ぬまで暮らしたという。
[No.628]
榎木孝明
投稿者:男爵
投稿日:2013/10/20(Sun) 05:37
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> 島崎中尉:山田純大
> 宮田中尉:保坂尚輝
> 片岡大尉:榎木孝明
榎木孝明(えのき たかあき)は、鹿児島県伊佐郡菱刈町(現・伊佐市)出身の日本の俳優・水彩画家。
浅見光彦シリーズ(フジテレビ)では、浅見光彦役(1995年-2002年)に一番ぴったり。
原作者の内田康夫もいちおし。
映画にもたくさん出演
天と地と(角川春樹事務所、東映、1990年) - 上杉謙信役
天河伝説殺人事件 - 浅見光彦役
源氏物語 千年の謎(2011年) - 桐壺帝役
[No.627]
Re: 第17作「寅次郎夕焼け小焼け」
投稿者:昴
投稿日:2013/10/19(Sat) 18:13
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「男はつらいよ」フアンの皆さん、先週土曜日からBSジャパンで第1作からの放映が始まっています。
今晩も6:54から第2作「続男はつらいよ」がありま〜す。昴
[No.626]
Re: 第17作「寅次郎夕焼け小焼け」
投稿者:ザックス
投稿日:2013/10/19(Sat) 15:01
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> 男はつらいよ 第17作 「寅次郎夕焼け小焼け」 1976年
前にDVD借りては観ていたのですが、観てないのをまた借りてきてみます。
記録は取ってありますので。 大体7日間で100円ですね。
[No.625]
第17作「寅次郎夕焼け小焼け」
投稿者:男爵
投稿日:2013/10/19(Sat) 11:23
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男はつらいよ 第17作 「寅次郎夕焼け小焼け」 1976年
上野の飲み屋で、みすぼらしい老人と出会った寅さんは
その老人が財布を忘れてきて飲み代が払えず困っていたのを
立て替えてあげる。
そして、気の毒に思いとらやに連れて来てしまう。
とらやで朝起きた老人は、なにを勘違いしたのか旅館に泊まったと思う。
その老人は、日本画の大家・池ノ内青観(宇野重吉)だった。世話になったお礼として青観が描いた絵をめぐり、とらやでは大騒動が巻き起こり、寅さんは旅に出ることに。
ところが兵庫県龍野で、寅さんは青観と再会、市長の接待を受け、芸者ぼたん(太地喜和子)と意気投合。
貸した金を返してもらえず困っているぼたんが可愛そうで
寅さんは、また青観に何か描いてくれと頼むと断られる。
(あとで青観が描いてくれた絵は売れば数百万円もするものだった。
ぼたんは決してそれを売らずに宝物にするという)
青観のかつての恋人・志乃役で、岡田嘉子が久しぶりに日本映画に復帰した。
彼女は若いときの過ちで(意地の張り合い?)、青観と一緒になれなかったことを後悔して告白するのだが
これは岡田嘉子の樺太国境越えの事件で、同行の恋人を死なせたことを後悔しているように私には受け取れた。
この映画で自分の思いを述べたかのように岡田嘉子は日本を去ってしまった。
マドンナ 太地喜和子
ゲスト 宇野重吉、岡田嘉子
ロケ地 兵庫県龍野
http://www.tora-san.jp/toranomaki/movie17/
[No.623]
「カスバの女」
投稿者:男爵
投稿日:2013/10/19(Sat) 10:53
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> 作詞:大高ひさを、作曲:久我山明、唄:エト邦枝
> 「カスバの女」
> で連想するものですから。
> http://duarbo.air-nifty.com/songs/2007/07/post_0172.html
「カスバの女」を藤圭子が歌っていました。
http://www.youtube.com/watch?v=UXktb1iW9Lc
藤圭子の追悼番組をラジオ深夜便でしていたとき
この歌を聞きました。
これも雰囲気が出ていると思います。
[No.622]
Re: 日曜はダメよ
投稿者:男爵
投稿日:2013/10/19(Sat) 06:56
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> 日曜はダメよ 1961年公開
> 彼女が真面目に生きるよう説得したり、勉強を教える。
>
> 結局は
> ギリシャ人気質になじめず孤独となったホーマーは、アメリカ船で帰国する。
これとは直接関係ないが
むかしパソコン通信をしていたとき
某学園都市での某研究所所員がデートをして
(話題に困って)エントロピーの話をして、交際を断られたという話を
掲示板で読んだ事があります。
エントロピーはデートで話さないようにと、以後掲示板では
しばらく話題になりました。
相手と波長が合わないと、男女交際もままならない。
もっとも相手がキュリー夫人のような理科系女性なら
物理学の話題や三角関数のことなどで盛り上がるかもしれないが...
[No.621]
煙突の見える場所
投稿者:男爵
投稿日:2013/10/19(Sat) 06:50
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「煙突の見える場所」 1953年公開
「文学界」に掲載された椎名麟三の「無邪気な人々」を「二人の瞳」の小国英雄が脚色し、「朝の波紋」の五所平之助が監督した。「
http://movie.walkerplus.com/mv23470/
東京の下町に住む人々にとって
千住のお化け煙突は、長い間
見慣れ、親しんだランドマークだった。
場所によって
四本、三本、二本、一本に見える
お化け煙突。
川本三郎:銀幕の東京 中公新書1477
[No.620]
ムルデカ
投稿者:男爵
投稿日:2013/10/19(Sat) 06:07
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「ムルデカ 17805」は、2001年に公開された日本の戦争映画。
インドネシア独立戦争に関った日本兵を描いている。
第二次世界大戦で日本は敗戦したが、そのあとインドネシアの独立運動のために戦った日本人兵士たちがいた。
このインドネシア独立運動に参加した日本人兵士たちのことは
ラジオ深夜便でも本人たちが語ったことがある。
撮影にはインドネシア軍が全面協力し、迫力ある戦闘シーンが描かれた。
題名中の "ムルデカ(MERDEKA)" はインドネシア語で「独立」を意味し、"17805" は日本の皇紀2605年8月17日の数字を日、月、年の下二桁の順に並べたもので独立運動指導者のスカルノとハッタは、インドネシアの独立宣言文にこの日付を使用した。
島崎中尉:山田純大
宮田中尉:保坂尚輝
片岡大尉:榎木孝明
武藤軍務局長:夏八木勲
今村中将:津川雅彦
宮田文子:松原智恵子
宮田早苗:藤谷美紀
島崎房代:藤村志保
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%AB17805
[No.619]
成吉思汗の秘密
投稿者:男爵
投稿日:2013/10/19(Sat) 05:59
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> > 今朝のNHKラジオ"今日は何の日"で「愛新覚羅溥儀死去61歳(1967)」と言っていたので思い出しました。
>
> 当映画の後半に溥儀、溥傑(皇帝の弟)、夫人らが一堂に会しているシーンがあります。四半世紀も前に観た映画ですから会話の内容は覚えていませんが、身重の女性のイメージが記憶にあります。彼女は溥傑夫人で、日本の華族の出、お腹の子は愛新覚羅慧生だと思います。であれば、「天城山心中」の当人です。
愛新覚羅溥傑の妻の浩は明治天皇の従妹の孫に当たります。
仲の良かった二人には娘の慧生と嫮生が生まれました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9B%E6%96%B0%E8%A6%9A%E7%BE%85%E6%BA%A5%E5%82%91
「天城山心中」がきっかけで
高木彬光は「成吉思汗の秘密」を書いたのです。
昭和32年(1957年)12月、天城山心中事件が世間を騒がせた。
最後の満州皇帝愛新覚羅溥儀(ふぎ)の弟溥傑(ふけつ)は日本人女性と結婚。
戦争で夫妻は一時別居したが(夫は中国、妻は日本)、最後は北京で死ぬまで一緒に
暮らしたという。
彼らには娘が二人いた。この娘たちは自分の意志で母親の実家の日本で暮らした。
長女慧生(えいせい)はしかし、学習院大学に在学中に八戸出身の青年と天城山で心中するのだ。
この事件をひとつのきっかけとして高木彬光はジンギスカンの秘密を書く。
彼の説によると、ジンギスカンは義経であり、その子孫は満州皇帝につながり溥傑
の娘の慧生がそれである。
一方、平泉をひそかに逃れた義経が八戸で土地の豪族の娘との間に鶴姫という
女の子をもうける。
義経は大陸への旅に向かうので母娘が八戸に残される。
義経の娘鶴姫はやがて大きくなり、その美貌と気品に魂をうばわれた男が現れた。
それは八戸の豪族阿部七郎という若者だった。
が阿部家と鶴姫の家とは代々中が悪く二人は恋仲になるが結ばれない運命だった。
二人は八戸を離れて父義経を追うかの北上し、夏泊(なつどまり)半島のまできたのだが、追っ手が迫ってきた。
二人はここで心中し、あたりは今も椿山といって、全山椿でおおわれている。
白い椿がないのは、姫の血で赤く染まった椿の名残であると言われている。
ここには毎年冬になると、シベリアから白鳥がやってくる。
伝説によると、父義経の霊魂が白鳥になり、かわいそうな娘の魂をなぐさめる
ために訪ねて来るのだということである。
高木彬光によれば、義経の娘鶴姫と若者阿部七郎との悲恋伝説がもとになって
八戸で結ばれなかった二人は、昭和の日本に、溥傑(ふけつ)の娘と八戸の青年と
なって生まれ変わり心中事件を起こしたのだ。
これが高木彬光の恋の輪廻説。
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