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[No.1] ビルマの竪琴 投稿者:男爵  投稿日:2013/08/31(Sat) 13:49
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この映画を見たのは、はるか昔の中学生の時である。
映画の中で歌われる「はにゅうの宿」は、中学校の音楽で習っていたので、
音楽の力はこんなにも偉大だと音楽の先生が言うのも実感として納得できた。

印象に残っているのは
日本軍の兵士の白骨がこれでもか、これでもかと何度も
スクリーンで映し出され、死んだ兵士の親兄弟や身内の悲しみが子ども心にも理解できた。

中学生の私には悲しい映画だった。

あとで、同じ監督により中井貴一主演の映画がもう一度つくられた。(われわれ世代には彼の父親の方がなじみがある)

竪琴のうまい水島上等兵は、思うところがあってビルマ僧となって、
死んだ兵士の遺骨を弔う仕事をする。

終戦で捕虜生活をおくってから、帰国もせまったとき
隊長は水島上等兵らしいビルマ僧がどうしても気になってしようがない。

隊長は青いインコに「おーい、水島、一緒に日本に帰ろう」と教え込む。
隊長は4日後に隊の全員は日本に帰ることをビルマ僧に伝えてもらうよう
ビルマ人のおばあさんに頼んだ。

おばあさんはビルマ僧にインコを届けてくれたらしいのだが
結局、水島上等兵はひとりビルマに残り、
ビルマのいたるところに散らばっている日本兵の白骨を、てあつく葬る道を選ぶ。

キーワード
 はにゅうの宿、ビルマの臥仏像、水島上等兵


[No.16] Re: ビルマの竪琴 投稿者:マサちゃん  投稿日:2013/09/03(Tue) 07:11
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男爵さん  おはようございます

 この映画は何度も見ました。
、捕虜収容所や使役行進する元仲間とすれ違ったり、そのたびに水島 水島 水島 と仲間が呼びかけるシーンが印象的でした。


[No.162] 心臓破りの丘 投稿者:男爵  投稿日:2013/09/11(Wed) 15:23
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> あとで、同じ監督により中井貴一主演の映画がもう一度つくられた。(われわれ世代には彼の父親の方がなじみがある)

> 隊長は青いインコに「おーい、水島、一緒に日本に帰ろう」と教え込む。
> 隊長は4日後に隊の全員は日本に帰ることをビルマ僧に伝えてもらうよう
> ビルマ人のおばあさんに頼んだ。
>
> おばあさんはビルマ僧にインコを届けてくれたらしいのだが
> 結局、水島上等兵はひとりビルマに残り、
> ビルマのいたるところに散らばっている日本兵の白骨を、てあつく葬る道を選ぶ。

二度作られた映画で、どちらにも出ているのは
インコのおばあさん役の北林谷栄だけ。

そこで
彼女の演技を記憶している
「心臓破りの丘」(1954年)です。

これは
ボストン・マラソンで第一位となった山田敬蔵選手をモデルとした映画です。


監督: 木村恵吾 キムラケイゴ
キャスト
根上淳 ネガミジュン (上田栄三)
宇野重吉 ウノジュウキチ (上田朝治)
浦辺粂子 ウラベクメコ (上田おしま)
北林谷栄 キタバヤシタニエ (上田もよ)

主役の根上淳はペギー葉山の夫で
(私生活では)妻子から手厚い看護で見送られました。

映画では
死の床の北林谷栄おばあさんが
必死で全身で
頑張れと声援を送る場面が印象的でした。
 立ち上がってナギナタをふりまわしてがっくり。 


[No.177] オモニと少年 投稿者:男爵  投稿日:2013/09/12(Thu) 17:39
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> 二度作られた映画で、どちらにも出ているのは
> インコのおばあさん役の北林谷栄だけ。

> 彼女の演技を記憶している
> 「心臓破りの丘」(1954年)です。

> 根上淳 ネガミジュン (上田栄三)
> 北林谷栄 キタバヤシタニエ (上田もよ)

> 死の床の北林谷栄おばあさんが
> 必死で全身で
> 頑張れと声援を送る場面が印象的でした。

もう一つ
心に残る北林おばあさんの演技を紹介します。

「オモニと少年」 1958年
  企画  岩崎  昶
  監督  森園  忠
  音楽  山内  正

 【キャスト】
 金おばさん  北林 谷栄
 一郎      手塚  央

 父と子とたった二人のくらしだったのに、父が亡くなって
一人ぼっちになった一郎をどうするか。
学校の棚田先生や、近所の人がお通夜のとき、頭を悩まして相談していた。

一郎を朝鮮なまりで「エツロウ」とよぶ金おばさんが、「一郎うちに来ればいいですよ」といってくれた。

縁もゆかりもない金おばさんに一郎をあずけるのは気の毒でもあったが、みんな子どもをかかえた精いっぱいの生活で、人のいい金おばさんの笑い顔で、ホッとする気持ちでもあった。

金おばさんは、リヤカーを引いて商売に歩くくず屋だ。

一郎もみんなからはやしたてらりして、子ども心にも苦労するが
そのうち遠く離れたおじさんが引き取るという話がまいこんでくる。

やがて、一郎はおじさんの家で暮らすようになる。

http://homepage2.nifty.com/taejeon/kaiho/kaiho-30a.htm

一郎がいなくなって泣いている金おばあさんのところに
一郎が戻ってきた。「やっぱり、おばあさんと一緒のほうがいい」
という結末だったように記憶しているのですが....


[No.228] 橋のない川 投稿者:男爵  投稿日:2013/09/14(Sat) 21:39
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『橋のない川』
住井すゑの書いた小説。
永 六輔が、この小説は今読んでおかないと
将来なくなってしまうと言っていたから
しっかり読みました。  (まだ図書館にあります)

1908年(明治41年)、大和盆地(奈良)の山村
誠太郎と孝二の幼い兄弟は、父を日露戦争で失ったが、しっかり者の祖母ぬいと心やさしい母ふでに大切に育てられる。

さて映画は
今井正監督版
第一部・第二部共通の登場人物
畑中ふで 長山藍子
畑中ぬい 北林谷栄

やっぱり祖母役は、この女優しかない。

奈良での全国オフのとき
水平社の記念館に行くつもりでしたが
奈良の全国オフは都合で行けませんでした。


[No.661] 北林谷栄 投稿者:男爵  投稿日:2013/10/24(Thu) 10:02
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> 『橋のない川』

> 今井正監督版
> 第一部・第二部共通の登場人物
> 畑中ふで 長山藍子
> 畑中ぬい 北林谷栄
>
> やっぱり祖母役は、この女優しかない。

ということで
北林谷栄(きたばやし たにえ)です。
 1911年5月21日-2010年4月27日(満98歳没)

映画デビューは、1948年に公開された市川崑監督の『破戒』。若い頃から老け役が多く、30代後半で、既に老婆は北林という名称を獲得し、日本を代表するおばあちゃん役者として広く知られた。

1989年7月19日にドラマ撮影のため滞在していたアメリカ・オレゴン州で脳動脈瘤破裂で倒れ、一時は生死すら危ぶまれた[17][18]が大手術とリハビリが功を奏し、翌1990年に舞台で復帰。1991年公開の映画『大誘拐/RAINBOW KIDS』で可愛らしくも転んでもタダでは起きない強かで得体の知れない老ヒロイン 柳川とし子刀自・役を演じ、映画もヒットし、日本アカデミー賞・最優秀主演女優賞を受賞するなど各映画賞を総なめにするなど、健在振りを示した[19]。

2002年公開の『阿弥陀堂だより』では、既に脚が悪くなり、歩きも覚束ない状態だったが、主演を務めたのが劇団民芸創設時からの盟友だった故・宇野重吉の息子寺尾聰であることから出演を快諾し、阿弥陀堂を守る老女を演じ、日本アカデミー賞・最優秀助演女優賞を受賞した。

舞台もテレビ出演も多いが、映画だけ紹介。

映画
禍福(1937年、PCL(東宝)) - 本田さん
破戒(1948年、松竹) - 叔母
醜聞(1950年、松竹) - 蛭田やす
恋人(1951年、新東宝) - 佐伯さん
原爆の子(1952年、北星) - おとよ婆さん
山びこ学校(1952年、八木プロ) - 無着の母
慟哭(1952年、新東宝) - 須恵子の母
人生劇場 第一部 青春愛欲篇(1952年、東映) - おみね
人生劇場 第二部 残侠風雲篇(1953年、東映) - おみね
日本の悲劇(1953年、松竹) - 一造の妻すえ
太陽のない街(1954年、新星映画) - 松太郎の婆
真昼の暗黒(1956年、現代ぷろ) - 宮崎里江
ビルマの竪琴(1956年、日活) - 物売りの婆さん
美徳のよろめき(1957年、日活)-女医
オモニと少年(1958年、製作 民芸映画社) - 金おばさん
張込み(1958年、松竹) - 信子の母
有楽町で逢いましょう(1958年、大映) - 祖母
炎上(1958年、大映) - 母あき
人間の条件第1・2部(1959年、にんじんプロ) - 陳の母親
キクとイサム(1959年、大映) - しげ子婆さん
人間の壁(1959年、山本プロ) - 和田澄江
鍵(1959年、大映) - はな
にあんちゃん(1959年、日活) - 坂田の婆
ぼんち(1960年、大映) - 内田まき
太陽の墓場(1960年、松竹) - ちか
婚期(1961年、大映) - 婆や
女房学校(1961年、大映) - 婆やのぶ
釈迦(1961年、大映) - スミイ(貧者の一燈の老婆)
松川事件(1961年、松川事件劇映画製作委員会)- 武田トモ
喜劇 にっぽんのお婆あちゃん(1962年、松竹) - おとぼけ婆さん・くみ
キューポラのある街(1962年、日活) - うめ
非行少女(1963年、日活) - 北静江
青い山脈(1963年、日活) - 家庭科教師・白木
にっぽん昆虫記(1963年、日活) - 蟹江スマ
女系家族(1963年、大映) - 君枝
越後つついし親不知(1964年、東映) - 留吉の老母
赤い殺意(1964年、日活) - 高橋きぬ
にっぽん泥棒物語(1965年、東映) - 林田の母
日本列島(1965年、日活) - 佐々木菊子
鉄砲犬(1965年、大映) - 小玉きぬ
大魔神逆襲(1966年、大映) - 老婆かね
黒部の太陽(1968年、日活) - きく
肉弾(1968年、ATG) - 古本屋の婆さん
千羽鶴(1968年、大映) - お手伝いのおとよさん
かげろう(1969年、近代映画協会) - 道子の隣家の漁婦
橋のない川(1969年、ほるぷ映画) - 畑中ぬい
ボクは五才(1970年、ダイニチ映配) - きく
ごろつき無宿(1971年、東映) - 勇(高倉健)の母
紙芝居昭和史 黄金バットがやって来る宿(1972年、東宝) - ぎん
華麗なる一族(1974年、東宝) - 総理夫人
エデンの海(1976年、東宝) - 菊
人間の証明(1977年、東映) - 久之浜の老女
野性の証明(1978年、東映) - 松下きよ
事件(1978年、松竹) - 篠崎かね
あゝ野麦峠(1979年、東宝) - お助け茶屋の老婆
配達されない三通の手紙(1979年、松竹) - タミ
震える舌(1980年、松竹) - 昭(渡瀬恒彦)の母
駅 STATION(1981年、東宝) - 三上昌代
真夜中の招待状(1981年、松竹)
疑惑(1982年、松竹) - 白河はる江
天城越え(1983年、松竹) - 茶店の婆さん
男はつらいよ 旅と女と寅次郎(1983年、松竹) - 吾作の老婆
ビルマの竪琴(1985年、東宝) - 物売りの婆さん
ビリィ・ザ・キッドの新しい夜明け(1986年、パルコ) - 老婦人
ゴキブリたちの黄昏(1987年、ヘラルド・エース) - トーラ
山田村ワルツ(1988年、松竹) - 堤ハナ
となりのトトロ(1988年、東宝) - カンタのばあちゃん ※声の出演
利休(1989年、松竹) - 大政所
大誘拐/RAINBOW KIDS(1990年、東宝) - 柳川とし子刀自
阿弥陀堂だより(2002年、東宝) - おうめ婆さん
黄泉がえり(2003年、東宝) - 内藤サキ ※遺作

  本郷功次郎主演の釈迦(1961年、大映)で
   スミイ(貧者の一燈の老婆)は印象に残っている。


[No.662] キクとイサム 投稿者:男爵  投稿日:2013/10/24(Thu) 10:15
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> 舞台もテレビ出演も多いが、映画だけ紹介。
>
> 映画
> キクとイサム(1959年、大映) - しげ子婆さん

この映画の主役の少女
がラジオ深夜便に出ていました。

 ラジオ深夜便
  10月4日(木)、5日(金)の2日連続、それぞれ午前4時台(3日(水)、4日(木)深夜)
  明日へのことば「映画『キクとイサム』と私の歩んだ道」
  高橋エミさん(歌手)

  映画「キクとイサム」(今井正監督)は昭和34年に公開され、キネマ旬報などの各賞を総なめにした作品です。
  日本女性と米兵との間に生まれた姉弟が東北の祖母のもとで差別と闘いながら生きる姿を描いており、この主役の一人を演じたのがアフリカ系アメリカ人を父に持つ高橋エミさんです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%82%AF%E3%81%A8%E3%82%A4%E3%82%B5%E3%83%A0

なんで自分たちが辛かった体験を
また映画撮影で演技しなければならないのか
演じたくない、とてもいやだという気持ちでいっぱいだった。

しかし
脚本の水木洋子や監督が困っているのを見て
しかたない助けてやろうかと弟役の奥の山ジョージと相談して
演技をしたという。

世話になった水木洋子に義理を感じていたらしい。


[No.187] Re: ビルマの竪琴 投稿者:ザックス  投稿日:2013/09/13(Fri) 09:05
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いい映画でしたね。印象に残っています。