昴さん
> 去年100歳で没した新藤監督の第1回監督作品の「愛妻物語」は公開時に見ています。 > 当時仲間たちとこれは「愛夫物語」だネと話したものです。確か溝口監督役が滝沢修でした。
確かに、尽くして尽くしてくれた妻のことなので「愛夫物語」なのでしょう。 夫としては、これから愛妻(行為)を実行したかったという悔いがあったのでしょう。
溝口監督役は滝沢修です。 そう本に書いています。
大映の乙羽信子は看板スターだったので、看板スターが血を吐いて死ぬ役はさせないというのを 乙羽信子は永田雅一社長と喧嘩してまで、新藤兼人の映画にでた。 そのくらい彼女は性格が一途なところがあった。
> 次の「原爆の子」はだいぶ後になってテレビで見た記憶です。彼の最後の作品「一枚のはがき」 > もよかったですね。
広島出身の新藤兼人としては ぜひとも撮りたかった映画でした。 回りからアメリカに気をつかったらという忠告も聞かずにつくった映画は 興行的にも成功して、私が思うに、それは原爆ドーム保存、ついには世界遺産という形になっていったのだと思います。 (原爆ドームの世界遺産のきっかけというか第一歩をつくったくらいの価値がある)
しかし、小学生の時に見た私の印象は、ただ暗い映画だったのです。
それからつくった 「第五福竜丸」は失敗、独立プロは厳しい。 借金も増えて、やけっぱち最後の作品と思って作った「裸の島」 これがモスクワ国際映画祭でグランプリを受賞する。世界各国から買われて借金も返せた。 自信をつけた。
瀬戸内海に住む夫婦(殿山泰司・乙羽信子)と子ども二人。 島には井戸はないから、彼らは毎日、船を漕いで隣の大きな島へ水を汲みに行く。 桶に汲んだその水を、天びん棒で担いでは、島のてっべんまで耕されている段々畑を上り下りし、その水を作物にかけてやるのが毎日の主な労働である。
かわいた砂地はたちまち水を吸い込む。 新藤兼人は、乾いた土へ水をかけるのは、乾いた心へ水をかけるのだと思った。 人の心はみな乾いている。生きるために乾いている、それに一杯の水をかけたいのだ。 そう新藤兼人は思って映画をつくった。
「この映画は何も語らない。しかし、すべてを語っている」フランスの映画評論家の讃辞だった。
乙羽信子は後に書いている。 このとき、私は三十六歳だった。彼の愛を注がれて九年たっていた。 「裸の島」ではないが、この九年間二人の交わした言葉は、どれほどあっただろう。 映画評をまねて「何も語らないが、すべてを語っている」などとはいわないが 愛の展望も語られず、乾いた心にくり返し水を注いで時を過ごしていた。 「新藤の愛人」でいるべきか、「他の人と結婚すべきか」迷っていたころでもある。
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